2024/07/05

頬(ほ)につたふなみだのごはず一握の砂を示しし人を忘れず 石川啄木 今週のことば 尾畑 文正

頬(ほ)につたふなみだのごはず一握の砂を示しし人を忘れず




石川啄木
今週のことば


尾畑 文正


  能登半島地震で家族を奪われた人たちの悲しみに心が震える。私の姉も、1959(昭和34)年の伊勢湾台風で命を奪われた。いつも「台風よ、姉を返せ」と叫んでいた。悲しみは今も消えない。悲しみの中で姉を想い、姉と共に生きてきた。悲しみを消す必要はない。悲しみの中でこそ、こぼれ落ちる「一握の砂」のように自らの生と死を私に示して逝った姉と出会うことができるのだ。
 フランスの詩人ジャン・タルデューは「死んだ人々は、還(かえ)ってこない以上、生き残った人々は、何が判ればいい?」と問う。悲しみは想いを超えて込み上げてくる。
だから、悲しみは、死んだ人々が、生きる人に、何かを託し、願い、どう生きるのかと、呼び掛ける伝言ではないだろうか。
 たとえ「一握の砂」がこぼれ落ちても、悲しむ私の心にいつも姉がいるように、地震で「あなた」の命が奪われ、悲しむ人たちは、「あなた」を忘れはしない。
(同朋大名誉教授)



"Eu nunca esquecerei da pessoa que, sem sequer enxugar as lágrimas que corriam pelo rosto, me mostrou um punhado de areia."
Palavra da Semana
Bunsho Obata

Meu coração treme com a tristeza daqueles que perderam suas famílias no terremoto da Península de Noto. Minha irmã também foi levada pelo Tufão Isewan em 1959. Eu sempre gritava: "Tufão, devolva minha irmã". A tristeza não desaparece. No meio da tristeza, penso na minha irmã e vivo com ela. Não é necessário apagar a tristeza. É na tristeza que posso encontrar minha irmã, que me mostrou a vida e a morte como um punhado de areia que escorrega.
O poeta francês Jean Tardieu pergunta: "Se os mortos não podem voltar, o que os vivos devem entender?" A tristeza surge além dos sentimentos.
Portanto, a tristeza não seria uma mensagem que os mortos deixam para os vivos, confiando algo, desejando e perguntando como viver?
Mesmo que um punhado de areia caia, minha irmã sempre estará em meu coração triste, e as pessoas que choram pela vida perdida no terremoto não esquecerão de “você".
 
Professor Emérito da Dōhō Daigaku




ポルトガル語の単語とその日本語訳をいくつか挙げます:

1. esquecerei (忘れる) - 記憶から失うこと。
2. lágrimas (涙) - 悲しみや感動のときに目から流れる水。
3. coração (心) - 感情や思いを感じる場所。
4. tristeza (悲しみ) - 喪失感や不幸によって感じる感情。
5. terremoto (地震) - 地面が揺れる自然現象。
6. Tufão (台風) - 強い風と雨を伴う気象現象。
7. vida (命) - 生物が持つ存在の状態。


翻訳にあたって重要な構文を5つ挙げ、解説します:

1. 比喩表現: ポルトガル語では「um punhado de areia」(一握りの砂) のように、比喩を用いることで、抽象的な概念や感情を具体的なイメージで表現します。この比喩は、人生のはかなさや、失われた人への思いを象徴しています。
2. 過去形の使用: 「esquecerei」(忘れる) のように、過去形や未来形を用いて、時間の流れの中での感情の変化や決意を表現します。
3. 接続詞の使用: 「Mas」(しかし)、「Portanto」(それゆえに) などの接続詞は、文章内の因果関係や対比を明確にします。
4. 主語の省略: ポルトガル語では文脈上明らかな場合、主語を省略することがあります。日本語翻訳では、これらの省略された主語を適切に補う必要があります。
5. 情感を表す表現: 「Meu coração treme」(私の心は震える) のように、直訳ではなく、感情を表すフレーズを用いて、原文の情感を日本語にうまく移し替えることが重要です。

Takuboku Ishikawa
https://pt.wikipedia.org/wiki/Takuboku_Ishikawa
石川啄木
https://ja.wikipedia.org/wiki/石川啄木



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2024/06/29

わが子の中に自分を見る Vejo-me no meu flho    今月の法語カレンダー ポルトガル語翻訳付き




わが子の中に自分を見る

ポルトガル語

Vejo-me no meu flho


スペイン語
Me veo en mi hijo




 仏教的な観点から「わが子の中に自分を見る」ということは、縁起の教えを思い起こさせます。すべての存在は相互に関係し、影響を与え合います。親と子供の関係もその一つで、親が子供に与える影響は、子供を通じて親自身に返ってきます。


また、子供が生まれることで、親も新たに生まれると言われます。親は子供を育てるだけでなく、子供も親を育てます。これにより、親と子供は共に成長し合う関係です。この視点では、子供も大人も同じ命を共有していると言えます。


  親は子供の成長に関わりつつ、子供の意志を尊重し、子供が自立した個人として成長する手助けをします。親子は互いに学び合い、影響を与え合うことで、共に成長し、深い絆を築くことができます。




    Sob a perspectiva budista, “Vejo-me no meu flho” remete ao ensinamento da interdependência. Todas as existências se relacionam e influenciam mutuamente. A relação entre pais e filhos é um exemplo disso, pois a influência dos pais sobre os filhos retorna aos próprios pais.


Além disso, com o nascimento do filho, diz-se que os pais também renascem. Os pais não apenas criam os filhos, mas os filhos também “criam” os pais. Assim, pais e filhos crescem juntos. Sob essa perspectiva, tanto crianças quanto adultos compartilham a mesma vida.


    Os pais participam do crescimento dos filhos enquanto respeitam sua vontade, ajudando-os a crescer como indivíduos independentes. Pais e filhos aprendem uns com os outros e se influenciam mutuamente, construindo juntos um vínculo profundo.












まず、親が子供に対して自分の影響を認識しつつ、同時に子供を独立した個人として尊重することが大切です。親は子供に自分の遺伝や教育の影響を見ることで自己を再認識しますが、その一方で、子供は独自の意志と個性を持つ存在であることを理解しなければなりません。


この両者を調和させるための具体的な方法として、以下の点が挙げられます。


1. 相互尊重の姿勢: 親は子供の個性や意志を尊重し、子供が自分の道を歩むことを支援します。子供を一人の人間として認めることで、子供の自主性と自己肯定感が育まれます。

2. 共に学び合う: 親は子供に教えるだけでなく、子供からも学びます。これにより、親子は互いに成長し合う関係を築くことができます。

3. 縁起の理解: 仏教の縁起の教えを通じて、親と子供が相互に影響し合う関係を理解します。すべての存在が相互依存していることを認識することで、親子の絆がより深まります。


このように、親が子供に対して自分の影響を認めつつ、子供を独立した個人として尊重することで、親子関係は調和するでしょう。



親は子供の成長に関わりつつ、子供の意志を尊重し、子供が自立した個人として成長する手助けをします。親子は互いに学び合い、影響を与え合うことで、共に成長し、深い絆を築くことができます。


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2024/05/29

「あなたたちは私たちがパスポートを持たされている現実を傍観している。 」 友人の言葉 今週のことば 尾畑 文正 ポルトガル語翻訳あり



中日新聞より


今週のことば

尾畑 文正




あなたたちは私たちがパスポートを持たされている現実を傍観している。

友人の言葉



 1972515日に沖縄は27年間の米国古領支配から返還された。前掲文は返還前にパスポートを持って沖縄から名古屋に来て大学で学んだ友人に問われた言葉である。「傍観」。これは今に続く私たちの問題ではないか。

 返還後の沖縄は、米軍基地が集中し、今も新基地が建設中であり、さらには自衛隊による琉球諸島の軍事要塞化も進んでいる。これらは平和ではなく、戦争を呼び込む政治である。もとより沖縄が望むものではない。

 沖縄は、先の戦争で本土決戦の捨て石にされ、住民の4分の1が命奪われた。「軍事基地はいらない」が沖縄の民意であり、「命(ぬち)どぅ宝」を大事にする沖縄の願いである。それは7112月、返還直前の国会で、沖縄の瀬長色次郎(せなが かめじろう)衆院議員が発した「この沖縄の大地は、再び戦場となることを拒否する」にも表れている。戦争をする政治を傍観するのではなく、有権者として声を上げる責任がある。

(同朋大名誉教授)



Palavra da semana

Por Bunsho Obata


"Vocês estão observando com desinteresse o fato de que temos que carregar passaportes."

Palavras de um amigo


Em 15 de maio de 1972, Okinawa foi devolvida após 27 anos de domínio dos Estados Unidos. A frase citada foi dita por um amigo que tinha um passaporte e veio de Okinawa para Nagoya para estudar na universidade antes da devolução. "observando com desinteresse". Não é esse um problema que continua até hoje para nós?


Após a devolução, Okinawa ainda concentra muitas bases militares americanas, e novas bases estão sendo construídas. Além disso, a militarização das Ilhas Ryukyu pelo Exército de Autodefesa também está avançando. Essas ações não são pacíficas, mas políticas que atraem a guerra. Originalmente, não era o que Okinawa desejava.


Okinawa foi usada como um sacrifício na batalha decisiva no continente durante a guerra anterior, e um quarto de sua população foi morta. "Não precisamos de bases militares" é a vontade do povo de Okinawa, e "a vida é um tesouro" é o desejo de Okinawa. Isso foi expresso em dezembro de 1971, pouco antes da devolução, quando Kamejiro Senaga, membro da Câmara dos Deputados de Okinawa, disse: "Esta terra de Okinawa recusa-se a se tornar um campo de batalha novamente." Não devemos apenas observar com desinteresse a política que conduz à guerra, mas temos a responsabilidade de levantar nossa voz como eleitores.


(Professor Emérito da Universidade Doho)




https://gendai.media/articles/-/52554?page=3

講談社 現代ビジネス より


「アメリカが最も恐れた沖縄の男」瀬長亀次郎の一生涯

すべては持たざる人のために 


佐古 忠彦 


「持たざる人たち」のために

瀬長亀次郎は、1907年6月10日、豊見城村我那覇に生まれた。貧しい農家の生まれで、亀次郎が3歳のときに父がハワイに出稼ぎ移民としてハワイに渡ったほどだ。

亀次郎は学校から帰ると、家の前にあった木に登り、ひたすら読書をしていた。飼育している山羊が食べる草刈りが、祖父に言いつけられた日課だったが、遊びに夢中で時折忘れてしまう。頑固な祖父は、罰として亀次郎の食事を減らしたが、母はこっそり芋を食べさせてくれた。


「ムシルヌ アヤヌ トゥーイ アッチュンドー」

むしろのあやのようにまっすぐ生きるんだよ――母のこの言葉は、亀次郎の生き方に大きな影響を与えることになる。

尾畑文正 同朋大学名誉教授







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