2021/09/20

ブラジルの僧侶、ジアンさんからのメッセージ「宗教と差別」  “Religião e Discriminação” Rev. Jean Tetsuji

 今回はブラジルのお坊さんジアン哲慈さんのコラムを紹介いたします。彼はレインボーサンガという宗派を超えて連帯し、差別をなくす運動をここブラジルで展開しています。 とても柔和な方で、イケメンです。
 僧侶になる前からエアーフランスの客室乗務員をなさっています。そのジアンさんが、サンパウロ別院の発行しているお便りに、差別と宗教というテーマで連載を始めました。
 いったいブラジルの現在のお坊さんは、この現代社会においてどのように仏教を学び、それを発信しているのでしょうか? 
その一つの答えがこのコラムを読めばわかると思います。
ポルトガル語の勉強にもなると思います。ぜひ読んでみてください。 
連載です。

ブラジルの別院サイト・オフィシャル

(過去の別院だよりも、このサイトにあります)

Rainbow Sangha - Budismo LGBT+

ブラジルの差別に反対するサイトです




 “Religião e Discriminação”

Rev. Jean Tetsuji

   Olá a todos, como tem passado? Espero que bem! Na edição anterior, a pedido do Rev. Masato, começamos a falar sobre discriminação impulsionado por sua reflexão com as frases “isso é Budismo Shin, aquilo não é Budismo Shin”. Dentre várias causas que me faz pensar nesse tema, comecei por aquela produzida pelo medo. Hoje pretendo falar pela comparação e julgamento daquilo que se acredita ser errado/certo ou melhor/pior pelo simples fato de ser diferente. Problemas de xenofobia (aversão ao estrangeiro) são assuntos espinhosos em vários países europeus por conta dos refugiados de guerra e conflitos sociais. Vemos ao longo da história humana, e mesmo atualmente, denominações religiosas impondo-se como superiores e únicas adotando uma atitude julgadora invalidando crenças alheias. A isto chamamos de intolerância religiosa, felizmente mitigada por leis. Ao discriminar, perdemos uma parte do nosso valor como humanidade. 
Entendo que a comparação também seja uma das bases para a discriminação. A comparação provoca uma mistura de sensação de insegurança com a certeza da superioridade ao perceber as diferenças entre si e o outro comparado. Das diferenças vem os critérios, os julgamentos, os rótulos, os valores e classifica o outro por sua régua referencial. O Buda Shakyamuni nos esclarece sobre a construção da percepção da realidade e da identidade do eu pelos Cinco Agregados (Skandhas): forma, sensações, percepções, formações mentais e consciência. É por meio deles que interagimos na experiência da vida na condição humana. A criação deste eu produz apego à existência, contempla a si de tal forma que nos lembrar o mito grego de Narciso, e do apego resulta o temor ao outro como fosse uma ameaça potencial. A somatória da comparação, do medo e do julgamento deriva à discriminação. E o resultado leva ao sofrimento e a violência (mental e físico) e mesmo ao suicídio. Certamente, o assunto é inesgotável e nosso espaço aqui é curto e convido-os a desenvolver o tema junto às suas comunidades e templos.  Como budistas, precisamos aprofundar o assunto e promover a não discriminação em nossa sociedade. 
A base dos sofrimentos possui a régua das comparações, isso é fato. Comparamos o tempo todo, em pequeno, médio e alto grau. Basta ir a uma academia de musculação, à feira escolher a melhor fruta ou pensar a qualidade de vida entre países. Na França renascentista, as salas de espelhos dos palácios permitiam os convidados trocar olhares para saber como estavam vestidos e com quem estavam acompanhados. A vaidade e o orgulho são irmãs da comparação e do julgamento e primas da discriminação. E você, quando se depara com uma outra pessoa ou situação diferente da sua referência de vida, que pensamentos vem à mente? Como você reage a eles? Um abraço e até a próxima edição. 







「宗教と差別」 

ジェアン 哲慈(てつじ)

皆様、お元気のことと存じます。前号から真人先生の提案で、「これは真宗である、これは真宗ではない」というような言葉をもとに、差別について 考える機会を頂きました。そして、前回は、このテーマについて考えさせられるいくつかの原因の中で、差別は恐怖によって生み出されるものということを話しました。 
今回は比較と判断をもとに、ただ異なっているという 単純なことで、何が間違 っているか正しいか、あるいは良いか悪いかを 評 価している事について話そうと思っています。 
  外国人の排除という問題があります。それは特に戦争や紛争、そして難民など のような問題であり、ヨーロッパのいくつかの国で深刻な問題となっています。 
また、私達は人類の歴史を振り返り、今日に至るまで、他者より優れていると思い込み、他人の信念を 蔑 ろにするような 宗 教 宗 派を見てきています。このようなことは 宗教的不寛容と呼びますが、幸いにもそういう他人を排除するような思想は、法律によって少しだけ抑制されています。差別することによって 私達は人類としての価値の一部を 失ってしまっています。 
 私は、比べることも差別の根拠の一つだと理解しています。自分と他人との違いを認識するとき、劣等感と自分が優れているという優越感のような複雑な気持を引き起こします。その違いから基準をつくり、判断し、レッテルを貼り、価値付けをして、自分の物差しで人を分けてしまいます。 
 私達が現実と自己の存在 証明や、自分らしさを知覚することは、五蘊によって作り上げられているとお釈迦様は教えて下さっています。五蘊とは物質、感覚、知覚、意志、そして心です。 私 達 は人間として生活するにはこれを通して人との関わりを体験しています。この自己というものを作り上げ、自己の存在への 愛 着 を生み出すことについては、ギリシャ神話のナルキッソスを思い出させられます。愛 着 によって他者への恐れが生じ、比較と恐れと決めつけが入り交ざり、差別につながると思います。その結果が、苦しみと、精神的、肉体的暴力 、さらには自殺にまでにつながっていくのでしょう。
 このテーマは膨大です。ですので、限られたスペースだけではなく、是非ともコミュニティーやお寺で、このことについて話し合うことをお願いいたします。 仏教徒として、この問題をより深め、無差別な社会を構成するように努めていか なければならないと思います。 苦しみの根源に、比較というものがある事は事実です。大なり小なり、 私達は常に比較しています。例えばジムの中、おいしそうな果物を選ぶ時、国別の生活水準 のことなどでも比較します。ルネサンス期のフランスの 宮 殿 の 鏡張の部屋には、ゲストがお互いの洋服を見比べ、そして誰と一緒に来ているかを確かめ合うようなことをしていました。それは虚栄心とプライドで比較し、判断し、差別を促すようなものです。 それでは、みなさんは不慣れな状況や、いつも接している人以外と出会った時、どのような考えが浮かびますか? そういった人達に対し、どのような態度を示しますか? 
 
それでは、次回まで!お元気で! 



「ブラジル・シュウちゃんねる」

 

2021/09/19

6ヶ月前のブラジル🇧🇷散歩 (思えばこの日を境に更新が途絶えたのでした)

ブラジル🇧🇷散歩



 iphoneの動画を整理していたら出てきた動画をアップしました。振り返れば2月末にデング熱にかかり、その影響で3月半ばには五十肩が発症してなかなか治らず今に至っているのでした。昔の映像を自分で見ると意外と新鮮な気持ちになりました。
 動画を視聴したら健康にすごく気を使っているのがわかります。今はようやく肩も治り体力も回復してきましたが、引き続き気をつけて過ごしていこうと思います。

過去動画を保存するのもいい


 ここ10年以上前から断捨離なんて言葉も流行って、モノも心も、データーも捨てていく方向へ私もシフトしていたのですが、こういう何気ない日常の動画を取っておくのもいいかもしれないと思いました。YouTubeはGoogleが倒産しない限り過去動画が存在し続けるはずなのでありがたいことです。
 この前Googleマップを見てびっくりしたのですがタイムマシンのように昔のお寺の写真が出てきて感動でした、2011年当時のお寺の様子を見ることができるのです! すごいですね。

気をつけても病気になる時はなる


 しかし、この動画は4月8日の動画なので5ヶ月半前の動画ですが、実は病気になる前から散歩したり、食事にも気をつけていました。しかし蚊が媒介するデング熱にかかってしまい、その影響で体力も落ち五十肩に発展して辛い数ヶ月間を過ごすことになりました。それでもヤケにならず食事も気をつけて、いろんな病院に行ってマッサージや整体師、鍼治療、アユルベーダなどに行って助けてもらいました。
 妻のファビアにもなにより助けられました。50歳も過ぎて非常に考えさせられました。仏教では四苦、八苦といって人間が避けられないこの世の苦しみを挙げていますが、その一つが「病い」なのですが、その言葉が身に染みるような出来事でした。

 現在はコロナも依然として世界中で問題になっていますが、実は他にもたくさんの病気があって、人間は苦しんでいると思います。現代のように医学が発展していてもこんなもんなんだな。と思いましたし。たくさんの治療してくれる人によくしてもらって、ありがたい。と感謝したり、絶望したりしていました。
 いずれにしても病気になる時はいくら健康に気をつけていてもなるのだということも厳しく体験した事です。
 とはいえ、それで絶望せずに食事や運動をして自分の体と対話しつつ節制する方向へ進んでいこうと思っています。また病気になるにしても、そちらの道の方が自分に合っていると感じたのです。
 

ブラジル🇧🇷散歩お付き合いください


 というわけで、最近散歩をしながら動画を撮る体力と気力が戻ってきたので、ブラジルの田舎町の何気ない風景とともに、何気ないお話をしながら散歩を再開いたします。よかったら一緒に散歩お付き合いください。おしゃべりしながら歩きましょう。



ブラジル散歩復活!?

「ブラジル・シュウちゃんねる」


2021/09/18

開封! 初めての中国のカップ麺を食べてみたら想像を超えてとてもおいしかった!

初めて中国のカップラーメンを食べました。


ブラジルのショッピングセンターで買ったカップ麺が中国製でした。食べてみたら美味しさにびっくり!ブラジルで買うと輸入品なので結構高いですが、また他の味に挑戦してみたくなる味わいでした。





2つのダシで本格中華の味を

 動画を見ていただけるとわかりますが、結構ボリュームもあって食べ応えがありました。若者でも十分なのではないでしょうか。年寄りでも味がいいので完食しました!
2種類のソースがいい味を出してると思います。粉系はスープ、トロッとした(私は後で入れました)ソースは中華のスパイシーな香辛料が練り込んであったと思います。 お湯の量ですが私はカップの内側にある印まで入れたところ、ちょっとスープが多すぎるのでは?と思いました。というのはブラジルの日清のカップ麺は日本に比べてお湯の量を少なく入れるように設定してあるのです。
 この中国のカップ麺は日本よりもたっぷりのお湯の設定なのです。それでこれは味が薄まるのでは?と思いながら食べたところピッタシ! ここら辺の塩梅は人それぞれなのでカップ麺の達人は自分の好みに調整してみてください。最初に少なめに入れると後で調整が効きますよ。濃すぎたら足せばいいだけなので。

麺も本格!美味しかった!

 私はここ20年くらいはもうカップ麺をあまり食べなくなったので知らないだけかもしれませんが、麺がむちゃくちゃ本格的でした。細麺でツルッとしてて、コシもあるんです! 正直ブラジル日清のカップラーメンより美味しいと感じました。
 いや、あくまでも個人的な感想です。でも正直な感想です。

他に気がついた点

 カップ麺を開けたら折り畳み式のフォークが出てきてびっくり!これだと外で買ってもお湯さえあればどこでも食べることができますね。でも日本だと箸とかつけてくれるけど。もちろんブラジルではつけてくれません。レジにあったとしても有料で買います。
 あとはできたら具にカップ麺の表紙に書いてあるようなお肉があったら完璧!
でもそれは贅沢ですね。日清のカップ麺のように謎肉とネギの切れ端みたいなのだけでした。

 最近は日本にも中国のカップ麺が売ってるのでしょうか?もし見かけたらぜひ挑戦してみてください。侮れない中華の本格ラーメンの味わいがあると思います。
 ただし私は魅力的に思った香辛料の香ですが、この独特の香りが苦手な人もいるかもしれません。
 ぜひ一度はお試しください。

 トッピングにお肉や野菜を足すともっといいでしょう。その際はお湯の量を調整するのを忘れずに!

それでは動画を見てください


「ブラジル・シュウちゃんねる」


今の日本のカップ麺も進化してるのでしょうね。


買った時の動画

 

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