失ったものを数える人あり
与えられたものに 感謝する人あり
ポルトガル語
Algumas pessoas contabilizam as perdas, e outras agradecem o que recebem.
Algunas personas cuentan las pérdidas y otras agradecen lo que reciben.
この言葉は一般的には、「失ったものにばかり目を向けて悲しんでいる人もいれば、与えられたものに感謝し喜ぶ人もいる」ということを表しています。つまり、同じ状況でも人によって捉え方が異なるということを示しており、前向きに物事を考えることが大切であるということを示唆しています。
しかし実際自分にコトが起こった時は「前向き(プラス思考)」ではどうにもならないことも多いのではないでしょうか?
私が小さい頃「sachiko 」という歌が流行りました。
「sachiko 」
ばんばひろふみ
幸せを数えたら 片手にさえ余る
不幸せ数えたら 両手でも足りない
いくら心がキレイでも
醜いアヒルの子では嫌だと
泣いた夜さえ いつの日か
笑い話になるものさ
SACHIKO 思い通りに
SACHIKO 生きてごらん
それが悲しい恋でもいい
笑いかたも忘れた時は
思い出すまで そばにいるよ
この歌も最初は視点が変わる日が訪れると励ましてくれていますが、グッとくるところは「思い出すまで そばにいるよ」ではないでしょうか。見方をを変えようとしても変えることなんてできない悲しみに寄り添おうとする愛情が感じられます。
2番の歌詞も素敵です。
「一人ぼっちの 旅でもいい 倒れそうに 疲れた時は僕の両手に 戻ればいいさ」
「そして心が 傷ついたなら 泣きながら 帰っておいで 僕はお前の そばにいるよ」
今月の言葉の背景には「寄り添ってくれる存在」があるのです。これがなければ、「視点を変えてみればどんな辛いことでも有り難く受け取れる」だから頑張れ。ということにもなりかねません。悲しいのはありがたいと思えないお前が卑しいからだ。ほら満足して頑張っている人もいるではないか。というほったらかしに転化してしまうのです。
失ったものを数える人あり
与えられたものに 感謝する人あり
浄土真宗でいう「与えられたもの」とは、どんな時も寄り添ってくれる仏様の慈悲のことを言います。
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