2023/02/18

今月の言葉 2月 「失ったものを数える人あり 与えられたものに感謝する人あり」

 失ったものを数える人あり
与えられたものに 感謝する人あり


ポルトガル語


Algumas pessoas contabilizam as perdas, e outras agradecem o que recebem.

スペイン語

Algunas personas cuentan las pérdidas y otras agradecen lo que reciben.

 この言葉は一般的には、「失ったものにばかり目を向けて悲しんでいる人もいれば、与えられたものに感謝し喜ぶ人もいる」ということを表しています。つまり、同じ状況でも人によって捉え方が異なるということを示しており、前向きに物事を考えることが大切であるということを示唆しています。

しかし実際自分にコトが起こった時は「前向き(プラス思考)」ではどうにもならないことも多いのではないでしょうか?

私が小さい頃「sachiko 」という歌が流行りました。

「sachiko 」

ばんばひろふみ 

幸せを数えたら 片手にさえ余る
不幸せ数えたら 両手でも足りない
いくら心がキレイでも
醜いアヒルの子では嫌だと
泣いた夜さえ いつの日か
笑い話になるものさ
SACHIKO 思い通りに
SACHIKO 生きてごらん
それが悲しい恋でもいい
笑いかたも忘れた時は
思い出すまで そばにいるよ

この歌も最初は視点が変わる日が訪れると励ましてくれていますが、グッとくるところは「思い出すまで そばにいるよ」ではないでしょうか。見方をを変えようとしても変えることなんてできない悲しみに寄り添おうとする愛情が感じられます。

2番の歌詞も素敵です。

幸せを話したら 5分あれば足りる不幸せ話したら 一晩でも足りないSACHIKOと言う名は 皮肉だと自分に宛てた 手紙燃やして窓に額を 押し当てて家を出たいと つぶやいたSACHIKO 思い通りにSACHIKO 生きてごらん一人ぼっちの 旅でもいい倒れそうに 疲れた時は僕の両手に 戻ればいいさ

SACHIKO 思い通りにSACHIKO 生きてごらんそして心が 傷ついたなら泣きながら 帰っておいで僕はお前の そばにいるよSACHIKO 思い通りにSACHIKO 生きてごらんそして心が傷ついたなら泣きながら 帰っておいで僕はお前のそばにいるよSACHIKO 思い通りにSACHIKO 生きてごらんそして心が傷ついたなら...

一人ぼっちの 旅でもいい 倒れそうに 疲れた時は僕の両手に 戻ればいいさ
そして心が 傷ついたなら 泣きながら 帰っておいで 僕はお前の そばにいるよ

今月の言葉の背景には「寄り添ってくれる存在」があるのです。これがなければ、「視点を変えてみればどんな辛いことでも有り難く受け取れる」だから頑張れ。ということにもなりかねません。悲しいのはありがたいと思えないお前が卑しいからだ。ほら満足して頑張っている人もいるではないか。というほったらかしに転化してしまうのです。

失ったものを数える人あり
与えられたものに 感謝する人あり

浄土真宗でいう「与えられたもの」とは、どんな時も寄り添ってくれる仏様の慈悲のことを言います。

「ブラジル・シュウちゃんねる」



2023/02/15

2023年 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 2022年はコロナが徐々に緩やかになり

ここブラジルのマリリアのお寺にも、法要や法事が戻ってきた一年でした。元通りになった以上に法事を行う方々が増えた一年でもありました。

私自身は良くて以前の状態に戻ればいいという考えでしたが、逆に増えることになるとは思ってもみませんでした。

ところが実際には増え、今年2023年も増え続けている傾向にあります。その理由を尋ねてみると。 ChatGPTに聞いてみると・・・・


コロナ後にお寺の法事の件数が上がった理由は、以下のようなものが考えられます。

  1. コロナ禍での死者数の増加 コロナ禍において、感染症のために亡くなる方が増えたことが、お寺の法事の件数の増加につながった可能性があります。 この答えは私にはあまり関係がありませんでした。ブラジルでは亡くなった人はほとんど葬儀に僧侶を呼びませんし、ましてや仏式の葬儀を求める人はもともと少ないのです。  ただし、コロナ後、以前よりは葬儀に僧侶を呼ぶ人が増えたような気がします。

  2. 葬儀の制限 コロナ禍での葬儀において、参列者の制限や密集を避けるための措置がとられることが多かったため、葬儀に参列できなかった人々が、お寺での法事に参列する機会を求めた可能性があります。 これは実際にそういう方がおいでになりました。一理あると思います。

  3. 緊急事態宣言の影響 緊急事態宣言の発令により、人々が外出自粛することが求められたため、自宅で法事を行うことができなかった人々が、お寺での法事を希望するようになった可能性があります。

私もこの動機はあると思います。コロナでの悲惨な体験が法事の大切さを教えてくれたと思います。

  1. 身内への思い コロナ禍により、命の危険を感じるようになった人々が増えたことから、身内を大切に思う気持ちが強まったことが、お寺での法事の需要増加につながった可能性があります。

これは実際にそのようなことをおっしゃった人はないですが、私自身が法事の大切さを再認識しました。きっとご門徒方もそういう人が多かったと思います。

以上のような理由が考えられますが、地域によっては法事の件数が減少する傾向にあるところもあります。また、宗派や地域によっても状況は異なるため、一概には言えません。

以上がChatGPTのこたえです。

最後のまとめが秀逸ですね。ここマリリアのお寺では(今のところ)増えているのですが、今後はどうなるかは実際わかりません。 法話会の要望も増えているので今のところお寺はまだ地域の役割があるということを感じて嬉しく思っています。


なにより地元の役員やご門徒がコロナでの自粛中も頻繁にお寺に来てくれて世話をしてくださったのが嬉しかったです。 今後ともよろしくお願いいたします。













「ブラジル・シュウちゃんねる」

2022/12/27

ブラジルの金色のワニのビーズ・キーホルダー 

ブラジルの路上でワニのキーホルダーを再び買う事になるとは。

いつもよく行くスーパー "サンジューダス"の駐車場で妻のファビアが「シュウ覚えてる?キーホルダーを売ってる人だよ」と見つけてくれました。
実は私も姿は見えていたのですが、(私にとっては)いらないものを売ろうとする人かと無視しようとしていたのです。 ちょっと心が痛みますが、同時にファビアの記憶力と色々しっかり見ている事にびっくりしました。

 約5年前のある日。お寺の前の道を歩いているとそのおじさんに「キーホルダーを買わない?」と声をかけられたのです。いつもならいらないとすぐにお断りするのですが、おじさんの手に握られているビーズ製の色とりどりのキャラクターの中でもワニに惹きつけられて、つい足が止まり「いくらですか?」と聞いたのです。そして即決で買ったのです。そんな運命的な買い物をする時、たまにあって幸せです。

買った後もずっと気に入りだったのですが、日々使っていると少しづつ壊れていきもう半分は解けていました。それでもそのまま使い続けていました。




動画の中で私自身が「幸運のワニ」なんて言ってますが、ブラジルでワニにはそんな意味はないようで、長く使っているうちに私の中に幸せの意味づけが出来上がっていたようです。最初のワニは銀色っぽいビーズのワニですが、今回は金色のワニにしました。「銀のワニが金のワニ」に変身しました。今回のワニも前回以上大切に長い付き合いをしていきたいものです。ありがとうジョセおじさん! 

「ブラジル・シュウちゃんねる」




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