2022/12/26

選ばれしものしか開くことのできない扉が、誰でも開けるようになった日。

お寺に一つだけ開かずの扉がありました。

 お寺の台所につながる部屋は年に数回しか使わないこともあって、お寺の庭に抜ける鉄製の重い扉をお金を出して修理しようという発想自体がなかったと思います。私自身も「まあ、いいか」と無意識の中でそう決めつけていたのですが、急に妻のファビアがこの扉を直したいと言い始め、仏教会婦人会の人たちの許可をとり急遽直すことになったのです。



 
 この扉は開くには開くのですが非常に開けづらい扉で、年に数回あるイベントの時に、力と知恵のある選ばれし者にしか開けることができない扉だったのです。
しかし修理のおかげで誰にでも開けることができる浄土真宗のお寺にふさわしい扉となりました。
 
 ブラジルでは信頼できる修繕者を見つけることが大切なのですが下の動画のように、お寺の屋根裏の状態を見てくださった、普段は教会の修繕を得意とする業者がドアもその場ですぐに直してくれたのです。

 これもファビアの手柄です。というのはそういう仕事が早く誠実で実力の伴った業者を見つけるのは至難の業なのです。150レアルかかりましたが、おかげでドアがスルスルと開くようになりました。「もっと早くやっとけばよかった」と思いましたが、少なくとも私は14年間放置しておりました。当たりあえのことですが、直そうと思わなければ直らないのでした。

以下動画をご覧ください。



「ブラジル・シュウちゃんねる」



2022/12/25

今週のことば 尾畑文正 「人間は闇の自覚なしに、 光の自覚があろうはずがない。」 高光大船の言葉

 Palavras da Semana


高光大山写真向かって左側


Bunsho Obata


"O homem não pode estar consciente da luz sem estar consciente da escuridão".

                         Takamitsu Daisen


 8 de dezembro, para alguns é o dia da iluminação de Buda, para outros o dia do ataque a Pearl Harbor, para outros o dia do assassinato de John Lennon? Para os budistas, a iluminação de Buda é o ponto de partida, cuja realidade interior é a abertura da verdadeira sabedoria (luz). O que isso significa exatamente? Nas palavras acima mencionadas, o monge budista Shin Takamitsu Daisen (1879-1951), nascido em Kanazawa, afirma que a realização da escuridão é a realização da luz. Este é o entendimento de que a realização do Buda foi a realização da cegueira humana.


 O estado iluminado de Buda é representado pela fase da marca de toque de terra. Os dedos de Buda tocam a terra. A terra é o símbolo do mundo (Dharma), que nutre e sustenta toda a vida. O iluminismo é o despertar para o chão de sua existência e, ao mesmo tempo, a realização da escuridão humana que profana e pisoteia a terra. Quando a luz da sabedoria ilumina as trevas do homem, a forma dessas trevas é o ataque a Pearl Harbor (guerra) e o assassinato de John Lennon, que cantou de amor e paz. Para mim, 8 de dezembro é um dia para lembrar a loucura da humanidade. 


(Professor Emérito, Universidade Doho)


遊墨民カズさんの作品です。
SP盤をイメージして書かれた作品です。

※このブログを書いたら小松時代からよくしてくださっているカズさんが送ってくださいました。ブラジルにも2回来て芸術交流をしてくださいました。また来てほしいなー。



今週のことば


尾畑文正


「人間は闇の自覚なしに、 光の自覚があろうはずがない。」

                         高光大船



尾畑文正先生


 十二月八日、ある人は釈迦の成道の日、ある人は真珠湾攻撃の日、ある人はジョン ・レノン暗殺の日であろうか。仏教徒においては釈迦の悟りは原点であり、その内実は真実の智恵(光)が開かれたことにある。それは具体的にはどういうことなのか。金沢出身の真宗僧侶高光大船 (一八七九~一九五一年)は前掲の言葉で闇の自覚が光の自覚であると言い切る。それは釈迦の悟りは人間の 無明を悟ったとの理解である。


 釈迦が悟った時の姿は触地印(そくちいん )の相で表されている。釈迦の指が大地に触れる姿である。 大地とは全ての命を育み支える世界 (法)の象徴である。悟りとはその存在の根拠に目覚 めることであり、それは同時に大地を汚し、踏みにじる人間の闇の自覚である。 智恵の光が人間の闇を照らす時、その闇の形は真珠湾攻撃(戦争)であり、愛と平和を歌うジョン ・レノンの暗殺である。私にとって 十二月八日は人間の愚かさを心に刻日である。 (同朋大名誉教授)


Youtube動画でも、朗読とお話ししています。どうぞご覧ください。


「ブラジル・シュウちゃんねる」



2022/12/24

ブラジルお寺の天井裏を検査してもらいました。その様子

私がこのマリリアのお寺に来てから14年が経ちましたが最初来た時は雨漏りが滝のようでした、少しづつご門徒の協力のおかげでいまはほぼ治りましたが、先月大雨の時に雨漏りがあり、しかもひどく汚れた雨が本堂の壁をつたって滴り落ちていたのです。
 
 それをみた妻のファビアが「屋根裏に鳥が住んでいてそのうんちが雨水と混じって落ちているのでは?」もしくは最悪鳥が屋根裏で絶命していてその影響では? との恐ろしい推測をするのです。それで今回ファビアが教会の屋根の修繕を得意とする業者に声をかけて本堂の天井裏を除いてもらうことになったのです。

 どうぞ!ご覧ください。



ご覧の通り埃などが積もっていますが、鳥の死骸や鳥の巣などはなく、これくらいだったら大丈夫とのことでホッとしています。 しかしお寺はもう建立されて75年経ちますから、相当汚れているわけです。雨の振り方によっては濁った雨水が漏れるのも致し方ないのかもしれません。

 今回勉強になったのは、お寺の屋根をみてもらうには、教会の修繕業者に声をかけるといいということでした。


「ブラジル・シュウちゃんねる」


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