2021/08/27

ブラジルの自動洗車機で愛車トヨタ・エチオスを洗った



 ここマリリアは人口が25万人くらいの小さな都市です。私の知る限りではこの紹介したガソリンスタンドにしか自動洗車機はありません。

 五十肩が痛くってとても自分の手で洗車できない日が続いているので、給油のついでに洗車をすることにしました。急遽動画を撮影しました。天気も良くって洗車日和でしたよ! 29レアルしましたが大満足です。日本円で六百円くらいです。


 日本では自動洗車の料金


はいくらくらいなんでしょうね? 今ネットで調べてみたら300円かららしいです。手洗いだと2500円くらいだそうです!

 ブラジルでは機会が一番下ランクが19レアル400円くらいからでした。私はフルコースのワックスまでして乾燥までしてくれるので600円だからいいですね!? でもブラジルと日本の物価は違うので一概に比べることはできませんが。 


ブラジルでの手洗い洗車


は車内の簡単な掃除も込みで50レアル1000円くらいです。ガラスコーティングワックスを先日見積もりしてもらいましたが、200レアル!4000円でした!!!!

でも軽い傷なら直してしまい、傷がつきにくく汚れも落ちやすくなるそうです。 いつかやってみたいです。


まあ、自動洗車は早く仕上がるのがメリットですね。天気も良く気持ちも良かったのです。動画でも述べていますが、子供の頃初めて父親と車の中に乗ったまま洗車機に入った楽しい経験を思い出しました。 ワクワクしますよね。 子供時代のワクワクをちょっと思い出してくれしかったです。

今度孫のニコラスを乗せて見せてあげたいな!

 

 ちなみにエチオスとはEtiosと書き、トヨタの世界戦略車の一つです。ギリシャ語の「精神、理念」を意味するEthos(エトス)という単語から作られた造語。とのことです。ブラジル以外でもアフリカインドで活躍しています。いまはもうヤリスにその座を奪われそうになっていますが、現在でも販売中!


なぜか愛知おすと変換されるので、やはりトヨタの本拠地である、愛知県推しのダジャレも意味に入っているのではないかと邪推してしまいます😀


それでは動画をご覧ください。チャンネル登録やいいね評価をよろしくお願いします。励みになります。


​ @Shu channel・ブラジルのシュウちゃんねる



「ブラジル・シュウちゃんねる」




       妻のファビア



2021/08/20

感動YouTube 紹介。 劇団ひとり「ウケすぎて天井が崩れた」ー 佐久間宣行のNOBROCK TV ー 【トーク】劇団ひとりがマジでお笑いを語った より 

  YouTubeで感動した動画を紹介。


 今年2021年は中田敦彦の予言通りたくさんの芸能人がYouTubeに登場してますね。みる側からしたら嬉しくて嬉しくて久しぶりにテレビを夢中でみていた楽しい時代を思い出しながら見ています。

ここ最近は芸能人だけにとどまらず、元テレビの有名プロデューサーが顔出しで出てきています。これもYouTubeならではの現象ではないでしょうか?

その中の一人、佐久間宣行さんのYouTubeが超絶面白いので紹介します。

 私は全く裏方の事情は知らなかったのですが「ゴットタン」という番組はユーチューブで知っていました。それを作っている人らしいのですが何気なく佐久間宣行のNOBROCK TVを見たら最初は企画ものであまり面白くなかったのですが、下に紹介する対談が最高に面白かったです。


劇団ひとりの「ウケすぎて天井が崩れた」。奇跡を目の当たりにした劇場での思い出話。「キス我慢選手権」は本当に全部アドリブだった話。

逆にドンずべりした経験話。ジョイマンの持ちギャグ「一歩、二歩、三歩、チンポ!」をいつでも100%振り切る話。などなど見どころ満載です。

アクセルを踏み込みやすいようにスタッフが空気を作ってくれる話も感動したなー

是非ご覧ください。 笑えて元気がもらえる動画になっています。そしてこれが導線となって、他の動画もどんどん見たくなると思います。

                       


 劇団ひとり「ウケすぎて天井が崩れた」





ー 佐久間宣行の
NOBROCK TV ー 【トーク】劇団ひとりがマジでお笑いを語った より。 

「ブラジル・シュウちゃんねる」





2021/08/16

終戦記念日 青木新門さんの終戦体験談紹介。 ポルトガル語訳 付き

 





2021年の8月15日

この日は日本では終戦記念日になっています。
私が毎日のように閲覧しているフェースブックの青木新門さんの言葉がある。
親鸞聖人の念仏の教えを伝える「念仏広場」と青木新門さん自身が名付けている。

終戦も76年目を迎え、歴史的には当然歳を重ね昔話になっていきますが、私にとっては若い頃よりは年齢も50を過ぎて自分が歳を取るに従って身近に感じるようになってきている。
人間50歳を過ぎたら過去が身近になり、逆に未来は乏しくなるのもある意味道理なのでしょう。
 私自身は昭和42年生まれなので戦争の厳しさや悲しみは直接味わっていないものの、現在はコロナというある意味戦争の状態に似ている世相なので、歴史で習ってきた戦争の悲惨さをより身近に感じるのかもしれません。

青木新門さんは映画「おくりびと」の原作である『納棺夫日記』の著者として有名だが、私にとっては現在はフェースブックでほぼ毎日親鸞聖人の念仏の功徳を説いて念仏をする人を一人でも増やそうとしている人として認識している。






その新門さんが8月15日に自身の悲惨な体験を吐露しつつ、同時にその悲惨さの中から全ての人を等しく救う宗教的境地を届けてくださっているので紹介します。

 私は毎朝YouTubeでここ南米のブラジルから朝のお勤めを届けていますが、そこでも朗読しているのでそちらもご覧ください。 動画は最初はお経を読んで最後に感話という形で、仏教の言葉を日本語とポルトガル語で届けています。
このブログでは動画の次の段から日本語とポルトガル語を紹介しています。
是非ご覧ください。



 


青木新門 フェースブックより。

{8月15日} 南無阿弥陀仏

今日8月15日は、76回目の終戦記念日である。

私が終戦を迎えたのは旧満州であった。八歳であった。

父は出兵していないし、母とまだ乳飲み児であった弟と三歳の妹と四人で難民になった時、弟は間もなく死んだ。母の乳が出なくなったからである。妹も引き揚げの途中で、栄養失調で歩けなくなり、私が背負っていた背中で死んだ。出発した時の難民の群れの数は、引き揚げ船の待つ大連に着いた時は半数になっていた。だから私は少年の日から無数の死を見て来た。特に私の場合、後に納棺夫となって、何千体もの死者に接する仕事をして来たわけで、常に死を見つめ、死について考えて来た人生だったと言っても過言ではない。

つねに<死>について思索していると、結局<生>について思索することになる。生と死は一つものだと気づかされる。仏教は生と死を分けて思考することはない。仏典であれ、親鸞聖人の『教行信証』であれ、生とか死といった言葉は見当たらない。すべて<生死>である。例えば生と死を分けて「生から死へ移ると心得るはこれ誤りなり。生死の中に仏あれば生死なし」(道元)とか、「証知生死即涅槃」といったように、生と死を分けて用いられることはない。近代ヨーロッパの思想などは、常に生か、死であって、生と死を分けて思考されている。清沢満之は「生のみが我等にあらず 死もまた我等なり」とおっしゃったが、大学で西洋哲学を教えておられた頃は生と死を分けて思考されてられたのが、結核で死に直面された時、ハッと気づかれたのだと思う。

孔子が「未だ生を知らず、況や死を」と言われたのも、生と死を分けて思考しておられるといえる。だから孔子の思想はこの世を生きる処世訓であっても生死を超えた宗教とは成り難い。あくまでも六道輪廻の輪から解き放されていない世界である。空海は、生と死を分けているかぎり闇であると詩的に表現して、仏教しか解脱はないのだと説かれたのであった。

生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く  死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し  ー「空海・秘蔵宝鑰」

この闇を破るには、弥陀の光明しかないのである。

「ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は難度海を度する大船。無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」-「教行信証・総序

私が8月9日のブログに「弟の死体を背負った少年」の写真を載せたが、あの少年は生と死を帯で結び、生死一如の瞬間に顕われる光明を浴びていたのだと私は思っている。私が満州の大地に妹の亡骸を捨てた時、何か大きな悲しみに包まれたような気がした。その大きな悲しみこそは如来大悲だったのだと、後に親鸞聖人の御教えに出遇って確信するようになった。

「ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽せられれば、かへってまた曠劫を経暦せん(流転を繰り返す) まことなるかな、摂取不捨の真言、超世稀有の正法、聞思して遅慮することなかれ」(総序)

私の終戦記念日は、念仏に出遇った宿縁を慶び、恩徳讃を唱える日となった。

 如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし  南無阿弥陀仏


ポルトガル語
{15 de agosto} Namu Amida Butsu

Shinmon Aoki

Hoje, 15 de agosto, é o 76º aniversário do fim da guerra.

Terminei a guerra na Manchúria. Eu tenho oito anos.
Meu pai havia enviado tropas e meu irmão mais novo morreu durante um caso de refugiado com minha mãe, um bebê e uma irmã de três anos. Isso porque não saiu o leite da minha mãe. Minha irmã também durante estava voltar, desnutrida e andava, e ela morri na minha costas.

O número de refugiados no momento da partida era metade quando eles chegaram a Dalian, onde o barco de resgate estava esperando. Então, eu vi inúmeras mortes desde a infância. Especialmente no meu caso, mais tarde me tornei um coveiro e trabalhei e encorntoro com milhares de mortos, então não é exagero dizer que minha vida sempre foi olhando para a morte e pensando na morte.

Se você está sempre pensando em <morte>, acaba pensando em <vida>. Percebe-se que vida e morte são uma coisa. O budismo não pensa em vida e morte separadamente. Seja uma escritura budista ou do Mestre Shinran " Kyogyoshinsho ", não há palavras como vida ou morte. Todas são <vida e morte>. Por exemplo, vida e morte são separadas, e é errado saber que passar da vida para a morte. Se há um Buda em vida E a morte, não há vida ou morte (Dogen), ou "nirvana instantâneo de vida e morte". Não será usado separadamente. Os pensamentos na Europa moderna são sempre vida ou morte, e a vida e a morte são consideradas separadamente. Kiyozawa Manshi disse: “Só a vida não é nossa, e a morte também é nossa.” No entanto, quando eu ensinava filosofia ocidental na universidade, pensava na vida e na morte separadamente. Acho que fui notado de repente quando me deparei com a morte por tuberculose.

Pode-se dizer que Confúcio pensa sobre a vida e a morte separadamente porque disse: "Ainda não sei sobre a vida, e a situação e a morte." Portanto, o pensamento de Confúcio dificilmente será uma religião que transcende a vida e a morte, mesmo Se for um preceito para viver neste mundo. É um mundo que não foi liberado do círculo de Rokudo Rinkai. Kukai poeticamente descreveu-o como escuridão, desde que separasse a vida da morte, e foi dito que apenas o Budismo poderia ser liberado.

Nascido Nascido Nascido Nascido Escuro no início da vida Morte Morte Morte Morte no final da morte- "Kukai / Tesouro Tesouro"

Apenas a luz de Amitabha pode quebrar essa escuridão.
"Se você olhar para ele em segredo, o juramento misterioso é um grande navio que torna o mar difícil.

Postei uma foto de "um menino carregando o cadáver de seu irmão mais novo" em seu blog em 9 de agosto, e ele estava na luz da vida e da morte com um cinto. Acho que sim. Quando joguei o cadáver de sua irmã na terra de Na Manchúria, senti como se estivesse em grande tristeza. Mais tarde, vim a ser convencido pelos ensinamentos do Mestre Shinran de que a grande tristeza era a grande tristeza de Tathagata.

"Ah. Se você me perguntar, não vou conseguir repetir o Kalpa de novo (repetir o fluxo), me pergunto se é verdade, o mantra da ingestão, a rara lei do super mundo, não tenha medo de pensar sobre isso "(Introdução)

Meu aniversário do fim da guerra foi um dia para celebrar o caso do Nembutsu e elogiá-lo.

Mesmo que tenhamos de pulverizar nossos corpos,Devemos retribuir a Graça da Grande Compaixão do Tathagata;Mesmo que tenhamos de esmigalhar nossos ossos,Devemos agradecer os Benefícios dos Mestres.

Namu Amida Butsu



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