8月15日は終戦日ですが、毎朝のお勤めのyoutube中継中にコメントしてくださった釈愚猿さんが教えてくれたのが8月15日は田口弘願さんの命日であり「弘願忌」であるということでした。
その時に同時に教えてくださったのが田口弘願さんは坊主バーの創立者でもあったということでした。坊主バーはその名の通りお坊さんがいるBer(酒場)なのです。大阪が発祥の地で弘願さんは東京のお店を2000年に設立したそうです。現在も続いているそうなのでいつか行ってみたいです。
ボーズバーの様子は
【人に言えない悩み】坊主バーで相談
調べてみて一番感動したのは田口弘願さんが僧侶になった経緯でした。
一部抜粋します。
以下抜粋 東本願寺 HP
おはようございます。今日は、私の大切な友人で15年前に視力を失った田口弘さんの生きざまから学んでいきたいと思います。
医師から視力は回復しないと宣告された田口さんのもとに現在も「あなたの目を治してあげるから、私たちの宗教に入りなさい」という様々な宗教を名のる人々からの勧誘があり、そのたびに田口さんはかつて悩んでいたことを思い出すそうです。
田口さんは幼少のころから弱視であったために、学校ではいじめやいやがらせを受け、高校時代にはたのみにしていた成績も振るわなくなりました。弱視という他の人と大きく異なる条件から逃れられない自分をみじめに思い、何度も自死を決意したそうです。
そのような時、田口さんは縁あって出遇った真宗僧侶の長川一雄先生から「あなたのいのちは、あなたの持ち物なのでしょうか。如来とよばれているはかり知れない大きないのちは、どんな姿のいのちであっても平等に摂め取って捨てません。今、ここに、あなたが生きているのがその証拠です。あなたが苦しいのは目が見えないからではなく、目の見えないあなたを生かしているかけがえのないいのちに出遇っていないからではないですか」と言われ、今まで誰からもあたえられたことのない問いを投げかけられました。それまで「宗教なんて非科学的でくだらない。人の弱みにつけこむきたないものだ」と思って軽蔑していた田口さんにとって、この言葉は衝撃的でした。そしてこれを契機に疑いを持ちながらも、親鸞聖人の教えを聞き始めたのです。そして、いつもかけがえのないいのちを生きていくことを如来によって願われているのに、目が見えるほうがいいといった自分の都合にふりまわされて、その願いを受け取れなくなっていることに気づかされていくのです。
その後、田口さんの目の病気は進行し、ついに視力を失ったのですが、一生聞法することを決意して京都の大谷専修学院で学び、僧侶になる道を選んでいた田口さんにとって、暮らし方こそ変ったものの、聞法に生きる姿勢の根本は何ら変わるところはありません。なぜでしょうか。それは、今、ここに、かけがえのないいのちを生きていることを喜んでくださる如来の教えにふれ続けているからです。
続きは以下のリンクでご覧ください。https://www.higashihonganji.or.jp/sermon/radio/detail03_02.html
とても感銘を受けました。田口さんは他にも
「現実を受け止められないから、どんどん苦しくなる」
「人間は死に方を選べない」
「『苦』を生んでいるのは、思い通りにならない自分を受け入れられないから」
「今の自分を受け入れられないということが、いちばん不幸」
などの言葉を残しています。田口さん自身の経験から出てくる具体的な言葉に心を打たれました。
田口さんの言葉は以下の本でも読むことができます。電子ブックで読むことができます。
自分のYouTubeに対するコメントのおかげでこういうお坊さんがおいでだったことを知って嬉しかったです。ブログ以外にも始めてよかったと思った瞬間でした。
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