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2024/09/26

GRU空港の駐車場予約ガイド ~公式情報と私の体験

 GRU空港の駐車場予約ガイド ~公式情報と私の体験を交えて~


今回は、サンパウロの主要国際空港であるGRU空港(サンパウロ・グアルーリョス国際空港)の駐車場予約方法について、公式情報と私自身の経験を交えて詳しくご紹介します。昨年も利用して大変便利だった私が、料金は高いけれども利便性が抜群の「コース3」を選んだ理由についてもお話しします。


 GRU空港の駐車場予約とは?



GRU空港の駐車場予約サービスは、空港を利用する乗客や訪問者が、アプリまたは公式ウェブサイトを通じて、出発の2時間前までに駐車スペースを確保できる便利なサービスです。このシステムを利用することで、当日現地で駐車場を探す手間を省き、スムーズに空港へ向かうことができます。





 駐車場予約のメリット

- 事前確保:駐車スペースを確保することで、空港到着後すぐに駐車場にアクセス可能。

- 安心感:確実に駐車スペースを確保できるため、旅行当日のストレスを軽減。

- 時間の節約:駐車場を探す時間を節約し、余裕を持って空港へ向かえる。


 駐車場予約のステップ


 1. オンラインで予約

まず、GRU空港の[公式ウェブサイト](https://www.gru.com.br/pt/passageiro/como-chegar-sair/estacionamento)または専用アプリにアクセスします。駐車場予約セクションを見つけ、以下の情報を入力します。


- 滞在期間:必要な駐車期間を選択。

- 連絡先情報:予約確認や必要な連絡のための情報を入力。


 2. 支払い方法の選択

予約時の支払いは、公式サイトまたはアプリを通じて、クレジットカードでの支払いを完了させます。事前に支払いを済ませておくことで、到着時の手続きがスムーズになります。


 3. 確認とQRコードの受取

予約が完了すると、確認メールが届きます。このメールには予約詳細とQRコードが含まれており、空港到着時にガレージのゲートで提示する必要があります。QRコードは、印刷したものでもスマートフォンで表示することでも使用可能です。


 私が選んだ「コース3」の魅力


昨年の旅行でも利用し、大変便利だった「コース3」、つまりプレミアムクラスを今回は選びました。確かに料金は最も高かったのですが、その利便性には非常に満足しています。


 コース3のメリット

- ターミナル近接:空港ターミナルに最も近く、室内なので雨の時も楽ですし、歩く距離がほとんどありません。


- 24時間セキュリティ:常時監視体制が整っており、安心して車を預けることができます。



 利用の流れ

予約から実際の利用までの流れも非常にスムーズでした。オンラインで事前に予約と支払いを済ませておいたため、空港到着後はそのまま駐車するだけ。帰りも同様に迅速に車を受け取ることができ、ストレスフリーな体験ができました。


 旅行当日の利用方法


 駐車場入口での手続き

旅行やイベント当日には、駐車場入口のトーテムにQRコードを提示して車を駐車します。他の駐車場支払いシステム(Sem Parar、Conect Car、Veloeなど)のタグが車についている場合でも、必ずQRコードを提示して読み取らせる必要があります。これにより、他の支払いシステムでの請求がキャンセルされます。


 トラブル時の対応

アクセスに問題があった場合は、駐車場入口に設置されているインターフォンを使ってサポートに連絡できます。迅速に対応してもらえるため、安心です。


 予約の変更・キャンセルについて


 予約の変更・キャンセル方法

予約のキャンセルや変更を希望する場合は、予約確認メールの「キャンセル」ボタンをクリックするか、支払い証明書、フルネーム、CPF番号を記載したメールを [reserva.aeroguarulhos@estapar.com.br](mailto:reserva.aeroguarulhos@estapar.com.br) に送信してください。予約の変更は、基本的に予約をキャンセルして新たに予約を行う必要があります。



 キャンセルポリシー

- キャンセル期限:予約日の前日23:59までにキャンセル可能。

- No Show:予約日に来なかった場合、支払った金額は返金されません。

- 費用:キャンセルや変更に対して追加料金は発生しません。


 二重請求の場合

駐車場予約と他の支払いシステムで二重請求された場合は、支払い証明書、フルネーム、CPF番号、予約バウチャーを添えて [reserva.aeroguarulhos@estapar.com.br](mailto:reserva.aeroguarulhos@estapar.com.br) までご連絡ください。


 まとめ


GRU空港の駐車場予約は、公式サイトやアプリを利用して簡単に行えます。各コースにはそれぞれのメリットがあり、私自身は利便性を重視して「コース3」のプレミアムクラスを選びました。昨年の利用でも非常に便利だったため、今年も安心してGRU空港を利用できそうです。


 おすすめポイント

- 事前予約で安心:確実に駐車スペースを確保し、余裕を持って空港へ。

- 多彩な支払いオプション:クレジットカード対応で簡単決済。

- 迅速なサポート:トラブル時もインターフォンで迅速に対応。


GRU空港を利用する際には、ぜひ事前に駐車場を予約して、快適な旅のスタートを切りましょう!


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2024/02/19

「Soraの魔法:BASICからAIへ、進化する技術が描く創造性の旅」


「Soraの魔法:BASICからAIへ、進化する技術が描く創造性の旅」


 先日OpenAiが新しくリアルな動画を作成するSoraというシステムのデモを見てびっくりしました。その時もう45年前ほど中学時代、NECのPC-8801でBASIC言語を使って日本国旗を作ったことをよく覚えています。一つ一つのコードを入力して、赤い円がゆっくり画面に現れるのを見るのは、当時としては大きな挑戦でした。それを経験してから現在に至るまで、技術がどれほど進化したかには本当に驚かされます。






今では、たった一言で「浄土の風景を描いて」とAIに頼むだけで、想像もしなかったような美しい画像や動画がすぐに作られます。BASICの時代には考えられなかったことですが、今の技術は私たちの創造力に新たな可能性を開いてくれています。

昔は、プログラミングを通じてコンピュータの仕組みを学び、そのプロセス自体から楽しみを見出していました。しかし、現代のAIは、私たちが想像もしなかった作品を一瞬で作り出すことができます。このような進化は、作業の効率化だけでなく、私たちが表現する方法を根本的に変えています。



それでも、昔のように手作業でコードを書くことの価値を再評価する必要があるかもしれません。過去の技術を理解することは、新しい創作のアイデアを生み出し、未来に向けて道を開くのに役立ちます。


 このように、BASICの時代から現在のAI技術に至るまで、技術の発展は私たちの創造性を広げてくれています。昔手作業で作った日本国旗から、AIが描く幻想的な浄土の風景まで、技術の進歩は私たちの表現方法を豊かにし、新しい可能性を提供してくれています。これからも、過去の経験を大切にしながら、新しい技術を使って、もっと素晴らしい創作物を作っていきたいものです。




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2024/02/09

「生まれた順に死んでいく有り難さ」 つり あきこ東本願寺の「同朋新聞」の一部をブラジル・ポルトガル語に翻訳しました。


 テクノロジーの進化が目まぐるしい現代において、仏教の教えを含む多様な文献の翻訳精度が飛躍的に向上していることを実感しています。固有名詞のような特定の項目については微調整が必要な場合もありますが、大部分のテキストは、後から妻のファビアに確認してもらっても、修正箇所がほとんど見当たらないほどです。また、一度修正を加えると、同じ誤りを繰り返さない学習能力にも驚かされます。

 この技術の恩恵により、日本の仏教法話などの文化的財産をブラジルの人々に紹介することが格段に容易になり、これは非常にありがたい進展です。

 東本願寺がネットで新聞を閲覧できるようにしてくれるようになったので、遠くブラジルからも読めるのもありがたいことです。


同朋新聞は誰でもネットからアクセスできます。

https://www.higashihonganji.or.jp/doboshimbun/



生まれた順に死んでいく有り難さ 

釣 章子 (つり あきこ)

「とんちの一休さん」でおなじみ「一休宗純禅師(いっきゅうそうじゅんぜんじ)」。ある日、一休さんは「何かめでたい言葉を書いてほしい」とお金持ちの商人に頼まれます。そして「親死 子死 孫死」と書きました。

それを見た商人はカンカンに怒りますが、一休さんは落ち着いて、こう返します。「それでは、あなたは『孫死 子死  親死』の方がめでたいのですか。『親が死に、子が死に、孫が死ぬ』、人にとって生まれた順番に死を迎えることができる、これほどめでたいことがあるでしょうか?」と。


 今から三十五年前のとある日の夜、当時小学校三年生の私は、一年生の弟と家族で近所のご門徒さんが作ってくださったカレーを食べておりました。そこに一本の電話が入り、母が入院していた産婦人科へ向かい、新しく誕生した小さな命と対面します。私たち姉弟は、もう一人の弟が産まれたことがとてもうれしくて、目の前の小さな命をずっと見つめていました。

 次弟の誕生により、私と長弟に「人を思いやる気持ち」が芽生えます。そして次弟の成長を見守りながら姉弟喧嘩もせず、仲良くすくすくと成長していきました。

 十数年後、長弟は母親の実家のお寺の住職に就任。次弟が自坊の大泉寺の跡を継ぐことになりました。私はというと、幼い時からずっとお寺のことは「他人事」。美容に興味があったので、大学卒業後は某化粧品会社に就職しました。その後サラリーマンの夫と結婚し、二人の娘にも恵まれ、仕事に子育てに充実した日々を過ごしておりました。

 

 今から十二年前に母が急死。当時八十歳だった祖母は「自分の娘の死」を受け入れることができず、通夜葬儀にも参列することができませんでした。そしてそのショックからか認知症がどんどん進行し、施設に入所することに。

母親の急死により、私は今まで「他人事」だったお寺に初めて関わることになりました。幼い子どもを育てながらフルタイムで仕事、そこにお寺の手伝いが加わり、身体も心も休まらず精神的にどんどん追い詰められていきました。

それから六年の月日が流れ、娘たちも成長。長女も小学校に入学し、生活も落ち着き始めた頃に、今度は次弟が急死。私と長弟にとって心の拠り所となる存在だった次弟(じてい)が亡くなり、言葉には言い表せないほどの深い悲しみに苛まれます。長弟(ちょうてい)と顔を合わせるたびにやり場のない怒りをぶつけ合うこともあり、互いに傷つけ合う関係になってしまいます。「強い絆」で結ばれていると倍じていた想いは、いとも簡単に脆くも崩れてしまったのです。


 既に母の実家のお寺の住職をしている長弟に今更戻ってきてもらう訳にもいかず、私は跡を継ぐことを決断しました。今までの生活を全て捨てて家族で大泉寺に移り住み、金沢真宗学院に入学。学生をしながら子育て、仏事に携わる生活が始まります。

 たくさんのご門徒さんと関わる中で知ったのは、自分より先にお子さんを亡くされるなど「受け入れがたい死」を経験されている方の多さでした。何で自分ばかりこのような目に遭わないといけないのか・・・・。当時はそんな思いにとらわれておりましたが、さまざまな出遇いをとおして、人の数だけ悲しみは存在し、皆それぞれ多くのことを抱えながら一生懸命生きておられるということを思い知りました。

認知症の祖母は今でも健在です。冒頭の一休さんの言葉に倣えば、「子死 孫死 親健在」ということになります。私は当たり前のように娘たちより先に命を終えるものと思っています。生まれた順番に死んでいくということだけが、幸せとは限らないのかもしれませんが、「親が死に、子が死に、孫が死ぬ」、この「生まれた順番に死んでいく」

という縁は、本当に一休さんの言葉通り「有る」こと「難き」、「ありがたいこと」なのだと、私としては思わざるを得ないのです。


浄土にてかならずかならずまち

まいらせそうろうべし


(「末燈鈔」「真宗聖典』六〇七頁)


 これは、親鸞聖人が最晩年に一人の門弟(もんてい)に書かれたご消息の末文で、現在の私を支えている言葉の一つです。いのちある限り別れは避けることのできないもの。しかし、親鸞聖人はお浄土といういのちの出遇い直しが果たせる場があると言い切られます。お念仏を申すということが既に、母や弟と出遇い直すことであり、私を念仏の場に導いてくれている大切な諸仏のはたらきなのでしょう。

 自分が思い描いていた人生とは全く違う人生を歩むこととなり、苦悩する日々でしたが、たくさんの方々に支えられ、自分自身の姿を見つめ直しながら、少しずつ前を向いて歩みを始めています。先に亡くなられたすべての方々は、お念仏となって生き続けている、このことを拠り所として、ご門徒や家族とともに、日々の聞法生活を大切に過ごしていきたいと思っております。






Nascemos e morremos na ordem natural, uma bênção inestimável.


Akiko Tsuri 



Conhecido pela sua sagacidade no "Ikkyu-san", o Mestre Zen Ikkyu Sojun foi um dia solicitado por um rico comerciante a escrever palavras auspiciosas. Ikkyu escreveu: "A morte do pai, a morte do filho, a morte do neto". O comerciante, furioso ao ver isso, foi acalmado por Ikkyu, que disse: "Preferiria então a ordem 'A morte do neto, a morte do filho, a morte do pai'? Há algo mais auspicioso do que a ordem natural da vida, onde pais morrem antes dos filhos, e assim por diante?"


Certa noite, trinta e cinco anos atrás, eu, então no terceiro ano do ensino fundamental, estava jantando um curry feito por um devoto vizinho com meu irmão, que estava no primeiro ano. Recebemos uma ligação, e minha mãe, que estava no hospital, nos apresentou a um novo membro da família. A chegada de mais um irmão encheu nossos corações de alegria, e ficamos encantados com a nova vida diante de nós.


A chegada do meu irmão mais novo despertou em mim e no meu irmão mais velho um sentimento de compaixão. Crescemos sem brigas, cuidando um do outro. Anos depois, meu irmão mais velho se tornou o sacerdote do templo da família de nossa mãe, e meu irmão mais novo foi destinado a suceder o templo da nossa própria família. Quanto a mim, sempre vi o templo como algo distante, tendo interesse em beleza, segui para trabalhar em uma empresa de cosméticos após a graduação. Casei-me com um funcionário de escritório, tivemos duas filhas, e vivi dias plenos entre o trabalho e a criação dos filhos.


Doze anos atrás, minha mãe faleceu subitamente. Minha avó, então com oitenta anos, não conseguiu aceitar a morte de sua filha e não pôde comparecer ao velório nem ao funeral. O choque agravou sua demência, levando-a a ser internada em uma instituição. A morte súbita de minha mãe me fez envolver com o templo pela primeira vez, um mundo que até então considerava alheio. Conciliar o trabalho em tempo integral com a criação de filhos pequenos e ajudar no templo me sobrecarregou física e mentalmente.


Seis anos se passaram, minhas filhas cresceram, e quando a vida começava a se estabilizar, meu irmão mais novo faleceu subitamente. A perda de alguém que era um pilar emocional para mim e meu irmão mais velho nos trouxe uma dor indescritível. Encontros com meu irmão mais velho frequentemente terminavam em discussões cheias de raiva, prejudicando nossa relação. Os fortes laços que pensávamos ter se mostraram surpreendentemente frágeis.


Com meu irmão mais velho já estabelecido como sacerdote no templo da família de nossa mãe, assumi a responsabilidade de suceder o nosso templo. Abandonei minha vida anterior e me mudei com minha família para o templo, ingressando no Instituto Shinshu de Kanazawa. Comecei a viver uma vida dedicada ao budismo, equilibrando estudos, criação dos filhos e atividades religiosas.


Interagindo com muitos fiéis, percebi quantos enfrentavam a dor de perder seus filhos antes de si mesmos, uma morte difícil de aceitar. "Por que só eu tenho que passar por isso?" Eu costumava me perguntar. No entanto, através desses encontros, compreendi que cada pessoa carrega sua própria tristeza e luta para viver da melhor maneira possível.


Minha avó com demência ainda vive. Seguindo as palavras de Ikkyu, "A morte do filho, a morte do neto, a avó ainda vivo" se aplicaria aqui. Eu sempre assumi que morreria antes das minhas filhas. Embora a ordem natural da morte não garanta felicidade, "a morte do pai, a morte do filho, a morte do neto" - morrer na ordem em que se nasceu - é, como Ikkyu disse, algo raro e precioso.


"Certamente, certamente, esperarei por você na Terra Pura."


Estas são as palavras finais escritas por Shinran Shonin a um discípulo em seus últimos anos, palavras que me sustentam agora. A separação é inevitável enquanto houver vida. No entanto, Shinran Shonin afirmou categoricamente que a Terra Pura é um lugar onde podemos reencontrar aqueles que perdemos. Recitar o Nembutsu já é um reencontro com minha mãe e meu irmão, guiado pelas benevolentes ações dos Budas.


Embora minha vida tenha tomado um rumo completamente diferente do que imaginei, apoiada por muitas pessoas e refletindo sobre mim mesma, comecei a avançar lentamente. Todos aqueles que se foram continuam vivos no Nembutsu, e com isso como meu suporte, valorizo a vida de ouvir os ensinamentos com a comunidade e minha família todos os dias.



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