人間、この問われるもの
- ガブリエル·マルセル -
今週のことば -
尾畑 文正
幼い頃の正月はただ待ち遠しかった。青春の正月は「異議あり」と危機に立ち向かった。壮年の正月は危機を傍観し、老年の今は危機の真只中にいると痛感する。 気候変動が世界を覆い、ロシアのウクライナ侵攻は泥沼化。イスラエルのパレスチナ自治区ガザへの攻撃は大量殺人の場となる。ミャンマーでは軍事政権が民衆の声を抑える。いずれも「強きもの弱きを伏す」(釈迦)危機である。
足元では、沖縄の民意を無視し、名護市辺野古での新基地建設が進む。昨年暮れ、国会審議もなく武器輸出緩和との報道にも接した。日本は憲法で武力なき平和を世界に宣言した。武器輸出は国是に反する。日本の危機である。
仏教では人間を「機」と表す。機は法(真理)との関係で人間を捉える言葉である。そこからいえば、危機とは危ない存在、あるいは存在が危ないとなる。哲学者マルセルの論題通り、今、人間それ自体が危機として問われている。
(同朋大名誉教授)
Ser humano, esse ser questionado
- Gabriel Marcel -
A palavra desta semana
Bunsho Obata
Quando era criança, eu apenas ansiava pelo Ano Novo. No Ano Novo da minha juventude, enfrentei crises com um "objeção". Na minha maturidade, observei as crises à distância, e agora na velhice, sinto-me profundamente no meio delas.
As mudanças climáticas estão cobrindo o mundo, e a invasão da Ucrânia pela Rússia se tornou um atoleiro. Os ataques de Israel à Faixa de Gaza, na Palestina, tornaram-se um palco de massacre em massa. Em Mianmar, o regime militar suprime a voz do povo. Todos são crises de "o forte dominando o fraco" (Buda Syakyamuni).
Aos nossos pés, a vontade do povo de Okinawa é ignorada, e a construção de uma nova base em Henoko, Nago, está avançando. No final do ano passado, também me deparei com notícias de relaxamento das exportações de armas sem debate parlamentar. O Japão declarou ao mundo uma paz sem força militar em sua Constituição. A exportação de armas é contra os princípios nacionais. É uma crise para o Japão.
No Budismo, o ser humano é expresso como "máquina". Máquina é uma palavra que captura o ser humano em relação à ensinamento Buda (verdade). Portanto, uma crise pode ser vista como uma existência perigosa ou como a existência em perigo. Conforme argumentado pelo filósofo Marcel, agora, o próprio ser humano é questionado como uma crise.
(Professor Emérito da Universidade Dōhō)
視点
この文章では、人間の生涯を通じて異なる時期における危機の認識と対応が述べられています。また、現代の様々な社会的·政治的問題が「強きものが弱きを伏す」という形で提示され、これらの問題が仏教の「機」の概念、特に法(真理)との関係での人間の位置づけと結びつけられて、ここから、「人間それ自体が危機として問われている」という考え方をどのように受け止めるかを考察しています。
Este texto contém profundas reflexões sobre a existência humana e a crise, demonstrando considerações sob perspectivas religiosas e filosóficas. Especificamente, a expressão "humano = máquina" do ponto de vista budista sugere a relação entre a verdade no Budismo e o ser humano, carregando um significado profundo. Além disso, aborda a situação mundial atual, oferecendo insights sobre como estas circunstâncias se relacionam com os ensinamentos do Budismo.
仏教における「機」という概念は、人間が真理に対する自己の位置を自覚し、それに応じて行動する能力を含意します。
現代の危機は、人間がこの能力を失った、あるいは誤用していることを示唆しているかもしれません。つまり、人間は自らの行動がもたらす結果に対して深く自省し、より良い選択をする「機」を持っていますが、現在はその機会を逸していると言えます。 現代社会における多くの危機、例えば気候変動や政治的抑圧などは、人間の欲望や無知、権力の乱用に根ざしています。これらの危機は、人間の倫理的·道徳的な側面が問われている状況を反映しています。仏教の教えに照らすと、これらの問題は「悪人正機」の概念に通じるものであり、つまり、人間それ自体が危機に陥っているという自覚が、真の救済への道を開く機会となる可能性があります。この文脈では、現代の危機は、人類が自己の行動を見直し、より持続可能で平和な社会を築くための教訓と変革の機会を提供しているとも解釈できます。仏教の観点から、これらの危機は煩悩や無明から離れ、慈悲と智慧をもって行動する機会となり得るのです。
以上のように、この文章は、個々人や社会全体が直面している危機を、仏教の教えと関連付けながら深く考察し、自己と社会の変革のための「機」としての可能性を示唆しています。
「悪人正機」の教えは、人間が自己の罪や煩悩を深く自覚することが、真の救済への道であると説いています。これは、自己の不完全性を認識し、自力での救済ではなく、阿弥陀仏の願力に依ることを意味します。この教えは人間が直面する危機の本質と深く関連しています。
現代社会における様々な危機は、人間の欲望、無知、権力の乱用といった、我々の内面に根ざした問題から生じています。これらの危機に対峙することは、我々自身の「悪人」としての性質、すなわち無知や誤った欲望に気づき、それを乗り越える機会を提供します。この意味で、「悪人正機」の教えは、個人としても社会としても、現在直面している問題を超えるための道を照らしています。「悪人正機」という言葉は、現代の危機においても深い意味を持ちます。これは、自己の不完全性を認め、より良い道を歩むための変革の機会として危機を捉えることを促します。真の変革は、自己の内面から始まり、自らの限界を認識し、それを超える呼びかけに応えることから生じるのです。
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