仏教のポルトガル語のテキストと日本語の原文、そして日本語の現代語訳や語句の意味を掲載しています。
今日のブログは、いつもは私のもう一つのブログnoteに書いている内容です。
本職はブラジルで僧侶をしているので、毎朝のお勤めのお今日のリンクとその後のお話のノートをnoteにシェアしています。
noteのいい点はとてもシンプルで名前の通りテキストが読みやすい点です。こちらにもアクセスしてください。毎朝(ブラジル時間)お勤めと法話をしています。下手ではありますが、ポルトガル語でも話させてもらっています。テキストもあるので、特殊ではありますが、ポルトガル語の勉強にも役立つと思います。
https://note.com/izushu/n/ne7aadeb5043a
ここからがいつものnotoの内容です。
口伝鈔 第11章 「助業をなほかたはらにしまします事」ポルトガル語、日本語原文 朗読動画あり。
Bom dia a todos!
口伝鈔 十一章
Capítulo 11
Colocando de lado as práticas auxiliares
Uma vez, Mestre Shinran excursionou pela região de Kant49 e foi golpeado por febre alta por três dias e três noites, durante os quais não pode beber líquidos, sentar-se ereto, nem tomar nenhuma infusão medicinal. Ele não deixava ninguém se aproximar para cuidar dele. No terceiro dia, ele disse: "Ah, agora eu compreendo, então é isso!" Então se sentou como se estivesse totalmente recuperado. Naquela época, sua esposa Eshin-ni perguntou: "Depois de estar doente por três dias, o que fez você dizer isso?". O Mestre disse: "Durante os últimos três anos, nunca esqueci de ler os Três Sutras da Terra Pura e pensei comigo mesmo: "Mais uma vez, preciso começar a ler ritualmente mil vezes" e uma passagem do Hinos de Louvor do Ir-Nascer do Mestre Shan-tao me veio à mente, que diz: "Chegar a finalmente ao seu próprio entendimento e ter o desejo para transmiti-lo aos outros, será este, de todos os desafios que jamais conheceremos, o mais difícil". "Então eu percebi tal significado ao tentar fazer com que os outros acreditem no que você acredita. Mas eu não conseguia entender por que alguém quer simplesmente acumular leituras dos Três Sutras, uma após a outra. Quando pensei muito e duramente sobre isso, percebi que esse era um problema não resolvido que me foi apresentado desde quando sofri de febre. Não era uma doença comum. É por isso que eu disse essas palavras."
Kakunyo comenta: Ao dar a este assunto uma análise cuidadosa, estas palavras (que Shinran falou) são como uma mensagem transmitida em um sonho. Elas mostram claramente o princípio de praticar o Nembutsu unidirecional, assim como a manifestação da graça salvadora do Bodhisattva Avalokitesvara chega a todos os lugares.
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Áreas próximas a Tóquio atual
これがポルトガル翻訳の本の表紙です |
原文
助業を傍らにする (お西ウィキアークスより)
(11)
一 助業をなほかたはらにしまします事。
鸞聖人(親鸞)東国に御経回(ごけいかい)のとき、御風気(ごふうけ)とて三日三夜(さんにち さんや)ひきかづきて水漿不通(しいしょう ふつう)しましますことありき。つねのときのごとく御腰膝(おんこしひざ)をうたせらるることもなし。御煎物(おんせんじもの)などいふこともなし。御看病の人をちかくよせらるることもなし。三箇日(さんがにち)と申すとき、「ああ、いまはさてあらん」と仰せごとありて、御起居御平復もとのごとし。
そのとき恵信御房(えしんの おんぼう)(恵信尼)[男女(なんにょ)六人の君達(きんだち)の御母儀(ごぼぎ)]たづねまうされていはく、「御風気(ごふうけ)とて両三日御寝(おんさんにち ぎょしん)のところに、いまはさてあらんと仰せごとあること、なにごとぞや」と。聖人示しましましてのたまはく、「われこの三箇年のあひだ浄土の三部経をよむことおこたらず。おなじくは千部よまばやとおもひてこれをはじむるところに、またおもふやう、〈自信教人信難中転更難〉(礼讃)とみえたれば、みづからも信じ人を教へても信ぜしむるほかはなにのつとめかあらんに、この三部経の部数(ぶしゅ)をつむこと、われながらこころえられずとおもひなりて、このことをよくよく案じさだめん料(りょう)に、そのあひだはひきかづきて臥しぬ。つねの病にあらざるほどに、いまはさてあらんといひつるなり」と仰せごとありき。
わたくしにいはく、つらつらこのことを案ずるに、ひとの夢想の告げのごとく、観音の垂迹(すいしゃく)として一向専念の一義を御弘通あること掲焉(けちえん)なり。
語句の意味
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
助業を…
じょごうを…
この章と次章は『恵信尼消息』によられたもの。(口伝鈔 P.892)
風気
ふうき
かぜ。(口伝鈔 P.892)
ひきかづきて
床に臥して。(口伝鈔 P.892)
水漿不通
すいしょうふつう
湯水ものどに通らないこと。(口伝鈔 P.892)
煎物
せんじもの 煎じ薬。(口伝鈔 P.892)
平復
へいふく
回復すること。(口伝鈔 P.892)
浄土の三部経
じょうどのさんぶきょう
三部経
1.『大経』『観経』『小経』のこと。(恵信尼 P.816, 口伝鈔 P.893, 持名鈔 P.1011, 御文章 P.1153)
2.浄土三部経の呼称は法然ほうねん上人に始まる。 (選択本願念仏集(P.1187)
浄土の三部経
じょうどのさんぶきょう
掲焉
けちえん
顕著なこと。明らかである。(口伝鈔 P.893)
えん 【焉】
〔漢文の文末助字の用法から〕
「われ関せず焉」などの形で,語句に添える強めの言葉。
えん 【焉】漢字
① 状態を示す語。「然」に同じ。「溘焉」「忽焉」
② 語調を整える語。「終焉」
東本願寺オフィシャル Web聖典 (ふりがなつき)
https://shinshuseiten.higashihonganji.or.jp/contents.html?id=1&page=663
現代文
1°
助業もやはり傍らになさったこと。(注1)
親鸞聖人が関東であちこちお廻りになっておられたとき、お風邪のため三日三晩床にふせって、重湯ものどにとおらないことがあった。いつものように腰や膝をたたかせられることもなく、煎薬(せんじぐすり)などを求めるということもなく、看病のひとを近く寄せつけられることもない。こうして三日目という日に、「ああ、結局は、それが本当だろう」と仰せられて、起居動作ももとのように回復された。そのとき、〔妻の〕恵信尼(注2)へ<男女六人のお子たちのおん母が>お尋ねになって、「お風邪ということで二、三日おやすみのところを、結局は、それが本当だろう、と仰せられたことは、どういう事でありますか」と言われた。聖人がお示しになって言われた。「自分はこの三年間、浄土の三部経(注3)を読むことを怠らなかった。同じことなら千部読もうと思ってこれを始めたところ、また思うには、 〔『往生礼讃』には〕「みずから信じ、人にも教えて信じさせることは難しいなかでもとくに難しい」と見えているから、自分も信じ人に教えもして信じさせるほかに、どのような務めがあろうか、と思われるのに、この三部経の部数を積み上げてゆくことは、われながら納得できないことだ、と思うようになって、このことを念をいれて思案し、結論を出すために、そのあいだ、床にふして横になっていた。いつもの病気とはちがうので、結局は、それが本当だろう、と言ったのである」と仰せられた。私見をもってすれば、よくよくこのことを考えてみるに、世間でいう夢の告げのように、観音が権に姿を親鸞とあらわして、ひたすらに念仏を称えて浄土に生れる教えをお弘めになったるのであることは、極めて明らかである。
注
一助業もやはり傍らになさった
善導は念仏者の在り方として読踊・観察。礼拝。称名。讃欺供の五つを五正行と立て、称名念仏を浄土に生れるための直接の原因であるとして正業、または正定業といい、他の前三後一を間接の原因として助業と呼んだ( 『観経疏』散善義、真宗聖教全書一・五三七ー八)。したがって法然も親鸞もこれをとっていることは当然である。助業を傍らにするということは、法然の 『選択集』総結の文に「正行を修めようと思うならば、正・助二業のうち、なお助業を傍らにして、選んで正定(業)を専らにしたらよい」九九〇)と説かれている。またこの文は 『恵信尼消息』第三(同五・一〇ー三)によったもので、それによると、寛喜三年(一三三一)四月十四日のこととされる。親鸞五九歳である。ただし 『消息』の方が当時のことをよく伝えている。
二
恵信尼
系図によると、恵信尼は越後の兵部大輔三善為教の娘とあり、六人の子の母である。しかし三善氏に勤めていた女と見る説が強い。親鸞が越後在住中に結婚し、親鸞の晩年には越後に帰っている。恵信尼のかいた 『消息』は親鸞研究に大きな光りを与えるものとして注目されている。
三
三部経
本鈔勤第十五章の本文及び第二章注二参照。
四
みずから信じ…
『往生礼讃』初夜讃の文(同一六六一)である。
歎異抄・執持抄・口伝抄・改邪鈔 (東洋文庫0033) Kindle版
親鸞 (著), 石田 瑞麿 (翻訳)
「ブラジル・シュウちゃんねる」
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この世がコロナになる少し前からYouTubeで毎朝のお勤めを生中継しているのですが(このブログの最下部に今日の内容を表示させておきます)お勤めの後の法話の代わりに、ポルトガル語に翻訳されたテキストを読んで感想を述べるのを日課にしています。その時にネットで見ている人にもテキストを配れたらいいという思いで作ったのがnoteのブログです。このブログは広告が一切ないのでまさにノートのように見やすく参照しやすいのが特徴です。
たまにこちらのブラジル日記にもその内容をアップしつつ、noteの宣伝を兼ねさせてもらっています。ちょっと難しいかもしれませんが、日本の仏教の教えがこうやってポルトガル語になってるなんてすごいことだと思います。仏教の教えは人間の迷いや苦しみを解決する教えで、現代の私たちにも通用する大切な教えです。ここブラジルはカトリックやキリスト教の教えが大勢を占めていますが、仏教の教えに惹きつけられる人も年々増えています。
毎日少し仏教の言葉に触れることが、人生の糧となるでしょう。毎日水を飲み、食事をするように一緒に仏教の教えに触れてみてはいかがでしょうか?
ポルトガル語の勉強にもなると思います。
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