Capítulo 13
O registro das visões do sonho de Ren'i
No nono dia do segundo mês na hora do tigre59 do ano 1256 em um sonho, Shaku Ren'i60, visualiza o príncipe Shōtoku proclamando um édito imperial. A forma nobre do Príncipe herdeiro apareceu na frente de Shaku Shinran e recitou o édito, respeitosamente prestando reverência ao Mestre. O édito dizia: "Eu presto reverência ao grande e amoroso Buda Amida. A fim de espalhar este Ensinamen- to maravilhoso, o Buda se manifestou em forma humana. Mesmo em meio aos tempos perversos das cinco impurezas em um mundo perverso, certamente o Buda alcançou a Iluminação mais elevada". Ao despertar desse sonho, Ren'i, especialmente honrado e mostrando reverência ao Príncipe Herdeiro, anotou esta passagem.
Kakunyo observa: A isto eu digo, quando nós viramos as páginas deste registro de sonho, torna-se claro que nosso fundador Mestre Shinran emerge como a manifestação do Bodhisattva Avalokitesvara, apontando igualmente como manifestação do mestre original Amida. Embora os nomes Amida e Avalokitesvara se refiram ao mesmo corpo, nenhuma diferença existe entre eles. Em relação à transmissão e explicação dos pontos decisivos falados e por ele preservados entre as ramificações modernas de sua escola, seu ensino é absolutamente incomparável entre todos os ensinamentos budistas.
Tomem nota cuidadosa sobre este ponto.
59
Entre as 4 e as 6 horas da manhā "
60
Discípulo erudito de Shinran, descendente do líder guerreiro Minamoto no Yorimasa
原文
蓮位房の夢想
(13)
一 蓮位房(れんに ぼう)[聖人(親鸞)常随(じょうずい)の御門弟、真宗稽古(けいこ)の学者、俗姓源三位 頼政卿順孫]夢想の記。
建長八歳[丙辰(ひのえ たつ)]二月九日の夜寅時(とらのとき)、釈蓮位(れんに)、夢に聖徳太子の勅命をかうぶる。皇太子の尊容(そんよう)を示現して、釈親鸞法師にむかはしめましまして、文を誦(じゅ)して親鸞聖人を敬礼(きょうらい)しまします。その告命(ごうみょう)の文にのたまはく、「敬礼大慈阿弥陀仏 為妙教流通来生者(しょうじゃ) 五濁悪時悪世界中 決定即得無上覚也(や)」[文]。この文のこころは、「大慈阿弥陀仏を敬礼したてまつるなり。妙なる教(のり)流通のために来生せるものなり。五濁悪時・悪世界のなかにして、決定してすなはち無上覚(うえなきさとり)を得しめたるなり」といへり。蓮位(れんに)、ことに皇太子を恭敬(くぎょう)し尊重したてまつるとおぼえて、夢さめてすなはちこの文を書きをはりぬ。
わたくしにいはく、この夢想の記をひらくに、祖師聖人(親鸞)、あるいは観音の垂迹(すいしゃく)とあらはれ、あるいは本師弥陀の来現と示しましますこと、あきらかなり。弥陀・観音一体異名、ともに相違あるべからず。しかればかの御相承、その述義(じゅつぎ)を口決(くけつ)の末流(ばつりゅう)、他(た)にことなるべき条、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)といひつべし。しるべし。
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
蓮位房…
蓮位の夢想は『御伝鈔』【四】にも記されている。(口伝鈔 P.895)
https://goo.gl/maps/YH2GMuUqDAcDH3nc6
稽古
けいこ
学問をすること。 (口伝鈔 P.895)
建長八歳
けんちょうはちさい
1256年。親鸞聖人84歳。「建…事」は包紙に別筆で記入。(口伝鈔 P.895,御消息 P.750)
寅時
とらのとき
寅の時。午前四時頃。(正像 P.600, 口伝鈔 P.895, 御伝鈔 P.1044)
現代文
13
蓮位房 <聖人に常に随侍(ずいじ)の門弟で、真宗の学問を修めた学者である。俗姓は源三位(げんざんみ)頼政公(よりまさこう)の孫である>がみた夢の記。
建長八年<丙辰(ひのえたつ)>二月九日の夜明け四時頃、釈蓮位(れんに)は夢の中で、聖徳太子のおおせをこうむった。皇太子の尊いお姿をあらわされて、釈親鸞法師にお向いになって、経典の文句をとなえられ、親鸞聖人にうやうやしく敬礼(きょうらい)された。その時お告げになった勅(みことのり)のお言葉には「大慈阿弥陀仏に敬礼したてまつる。妙教を流通するために来生された者である。五濁の(注1)悪時・悪世界の中にあって、断乎として、すなわち無上覚を得られたのである」とのべている。この勅(みことのり)の文の意味は、「大慈悲の阿弥陀仏を心から敬い礼拝したてまつる。尊い教えを世に広めるためにこの世に生れて来られた方で、五濁にまみれた穢れ多いこの時、この世界において、断乎として無上のさとりをえられた」というのである。蓮位(れんに)は、とくに皇太子を恭(つつし)み敬って心から礼拝をささげ奉った、と思ったところで夢がさめ、さめるとすぐにこの文章を書き終ったのである。
ひそかにわたしの思うところでは、この夢の記の意とするところを汲みとってみると、祖師親鸞聖人があるいは観世音菩薩の垂迹とあらわれ、あるいは本師阿弥陀仏の来現を示しておられることが明らかである。阿弥陀仏と観世音菩薩とは一体で名が異なるだけであるから(注2)、ともに(注3)、間違いがあるはずはない。だから、聖人が承け伝えて、その義を述べられたのを、親しく伝えられた末流である以上、他宗と違っている点は他に比類がない、と言ってよいのである。よくこのことを知らなければならない。
注
1
五濁
濁は劣悪を意味する。飢饉・疫病・戦争などを含める劫濁、邪しまな思想や考え方が広まる見濁、煩悩がほしいままにされる煩悩濁、生を享けたものの資質低下を意味する衆生一濁、短命を意味する命濁の五である。時代がこうした状態になるのは末世と考えられている。
2
阿弥陀仏と観世音菩薩とは一体で名が異なるだけである……
不空訳の 『理趣釈』に「得自性清浄法性如来とは、これは観自在王如来の異名で、すなわちこれは仏としては無量寿如来と名づける。もし浄妙な仏の国土に現われたときは仏身と成り、雑染の五濁世界に住めば、すなわち観自在菩薩となる」(大正大蔵経一九・六一二上)と説いているように、早くからこの考えがあるが、源信の 『自行念仏問答』にこれを論ずる(大日本仏教全費三一・二一二下)ように、この思想は広く一般化したものと考えられる。
3
ともに
親駕が阿弥陀仏の化身でもあり、観世音菩薩の化身でもあるということを指す。
歎異抄・執持抄・口伝抄・改邪鈔 (東洋文庫0033) Kindle版
親鸞 (著), 石田 瑞麿 (翻訳)
参考リンク
https://goo.gl/maps/YH2GMuUqDAcDH3nc6
http://www.zuikouji01.sakura.ne.jp/monngo/sinnrann/02nennpu/nennpu0730/1219/06reni/01.pdf
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