2021/09/25

勘違いが世界を開く ー間違えてもいいー  延塚先生に聞いた亀毛(きもう)のお話

勘違いが世界を開く




 これはまだ日本の小松にいた頃、富山へ延塚知道先生のお話を聞きにいくときに思い出したお話です。


   延塚先生は私の大谷大学時代にであった先生で、私が所属していたクラブ「伝道部」(仏教系の大学らしい部活でしょ?)の顧問でもありました。広島の実家のお寺にもよく法話においでになってくださっておりました。先生は大学の教授ですが法話をされる時はわかりやすく、また授業中でも生徒にわかりやすく話してくれる先生でした。ここブラジルにも2回もきてくださっています。

 さて、延塚先生は既に書いたブログの鴨川カップル・等間隔座りの謎「京大生ボート部、琵琶湖失踪事件」などの話も記憶に残っています。誤解しないでほしいのですが、↑のような話しばかりを先生はしているのではありません。私は小学生の時から勉強が嫌いで、授業中肝心な話しは聴かずに、ジャポニカ学習帳の隅に書いてある、まめ知識のコーナーばかり読んでいたような子供で今に至ります。面白いお話が好きだし、記憶に残るのですね。。。。。


それで今日、印象に残ったお話は亀毛(きもう)のお話です。


 亀は万年というから、昔の人は亀がそれだけ長生きしているから、ながーい毛が生えていると勘違いした。というか、想像していたのだそうです。
だから、浦島太郎の乗った亀には毛が描かれている。しかし、それは昔の人の想像ではなく、本当に亀に生えていた。でも、生えていたのは髪の毛ではなく、こけだったのです。寿命の長い亀の甲らほどコケが多く付き、それが髪の毛のように見えたのです。つまり見間違えだったというお話。


実は愚かな勘違い


 これは仏教の法話のたとえ話で、亀の甲らのコケを髪の毛なんだと思い込む人間の愚かさを表現しているんです。無いものをあると勘違いして自己主張する人間の執着心を表してる。勘違いを主張して、かえって自分で自分の首を絞めて苦しめているだよ。と教えてくれる。

「お金があれば何でも出来て、幸せ」とか「健康であれば何でも出来て、幸せ」などと勘違いしていたり。実はその勘違いの「幸せ」に死んで、自分の都合だけではない本当の幸せに見ざめることが仏教の教えが指し示す道なのです。仏教でいう「無」とか「空」の思想もそうですし、さらに「南無阿弥陀仏」の教えもそうなのです。

愚かな勘違いが、ありがたい悟りへ導くカギ


 特に御念仏の教えるところの一番大切なポイントは、この話しを聞いて、「明日から勘違いしない人間になりましょう」と自分を励ますのではなく「私っていっぱい勘違いして生きているんだね、しかしその勘違い人生には大きなメッセージが託されているんだね」と知る事なんですね。勘違いしない立派な人間にならなくてもいい。勘違いしまくって、ときにはヘコんだりしますが、その勘違いが実は人間を育て、芸術や文化を育て、私たちを導いていると感得しつつ生きていきたいものです。

「ブラジル・シュウちゃんねる」






延塚先生の著書


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