真宗大谷派 東本願寺 同朋新聞より
人間といういのちの相(すがた)
浄土真宗から問われる私たち(前編)
インタビュー 尾畑文正(おばた ぶんしょう)さん
二〇二三年にお迎えする宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要に向け、施策が進められています。一方、新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化して以降、社会のあらゆる場で、さまざまな課題が顕在化しています。本紙面では、その課題に関わる方へのインタビューを通して、私たちが生きていく相(すがた)を確かめてきました。この状況において、私たちは親鸞聖人の立教開宗をどう確かめどのようにいただいて生きるのか。尾畑さんお話を通して考えます。
1947年三重県生まれ。三重教区泉稱寺前住職。元同朋大学長。2015年4月から2018年8月まで、真宗大谷派南米開教監督。著書に「親霊聖人の手紙から」「仏さまの願い一四十八のメッセージ 』(東本願寺出版)など多数。
立教開宗(りっきょうかいしゅう)とは
一九二三年に立教開宗七百年、一九七三年には御誕生八百年・立教開宗七百五十年が勤まり、今回は三度目の法要となります。立教開宗を親鸞聖人において確かめていく意義とはどういうことでしょうか。
親鸞聖人は、法然上人を「よき人」として仰がれ、その教えによって自らの立脚地を明らかにされました。それは 『歎異抄」に、
親鸞におきては、ただ念仏し弥陀たすけられまいらすべしよきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。
( 『真宗聖典」六二七頁)
とあるように、専修念仏(せんじゅ ねんぶつ)を掲げる「選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)」を著述し、浄土宗の独立を宣言された法然上人の教えをいただいて生きるところに親鸞聖人の立ち位置があり、それを踏まえてご自身の受けめを浄土真宗とおっしゃられたのです。
親鸞聖人は「大無量寿経(だいむりょうじゅきょう) 』によって真実の教えとして「浄土真宗」という名の仏法を明らかにされました。それは阿弥陀仏の本願を国土としてあらわした「浄|土」を「真実」の「宗(むね)」(根本原理)とする教えです。私たちの生きる根拠と方向を浄土真宗として明らかにされたということです。
ですから「立教開宗」と言っても一般的にいう宗派(セクト)を宣言したという意味ではありません浄土真宗という名の仏法を、私たちが生きるこの五濁悪世(ごじょくあくせ)のただ中に開かれた。その具体的な表明こそが主著「顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうもんるい)(教行信証)の製作です。この『教行信証』は浄土真宗が人類普遍の救済原理であることを「顕浄土」の課題をもって虚仮不実(こけふじつ)の社会に掲げている意味で、「立教開宗」を表す宣言書の意義持つといえます。
この浄土真宗に学び、生きようする人々の集まりの一つが真宗大谷です。この真宗大谷派という教団にご縁をいだき、真宗門徒たらんとする限り私はいつも浄土真宗という普遍的原理問われる存在となります。自分は本当浄土真宗を生きようとしているのか。そういう問題がいつでも、どこでも、誰でも問われることになるのです。
浄土真宗を生きようしているのかという問いは、具体的に私たちの何を問題にしてのでしょうか。また、それはどういう世界を開くのでしょうか。まず問われていることは、私たちのがすべてのいのちあるものを見捨てないで救うという阿弥陀仏の本願に向き合っていないことです。いわば阿弥陀仏の願の内に在りながら、その根源的事実に背き続ける「私と私の世界」の意識と生活です。
具体に言えば、経済中心の生き方を問うこともなく国籍や民族や人種や性差の違い、あるいは役に立つか生産性あるかどうか、能力があるかどうかなどと、それらで人を選び、評価し差別していく人間観、世界観です。そういう人間、世界観に対して、親鸞聖人が真実の教えとして浄土真宗を当てられたことにより、浄土真宗の眼、つまり仏さま眼から私たちの人間観世界観を問い直していく視点が私たちに与えられ、開かれることになっということです。
それこそが、「立教開宗」を確かめる五十年に一度の大切な節目に、私たちが確認しなければならない最重要課題です。つまり、人と人とを限りなく引き離すコロナ時代あって、本当に真宗門徒として共に生きる世界を開く浄土真宗の教えを生きているのだろうかという自分への問いかけです。
宗祖時代において、浄土真宗という宗を世に開かたことにはどのような意味があるのでしょうか。
「浄土真宗」という名の仏法が「五濁悪時」という言葉にあらわされるような人間社会に立ち上がるわけですから、仏心と真逆の世界としてある私たちの時代社会から攻撃を受けることは必然でした。その典型が一二〇七年に親鸞聖人が法然上人とともに弾圧を被った「承元(じょうげん)の法難」※注1)です。人の上に人を作り、人の下に人を作って成り立っていた当時の古代的身分社会から無差別平等の仏心を命とする念仏教団が弾圧を被り、親鸞聖人も流罪にあうことになりました。流罪を解かれ、越後から関東に移住され、念仏申す同朋・同行に恵まれて二十年ほどして帰洛されますが、親鸞聖人が帰洛された関東の念仏教団においても「建長の法難」(※注2)と呼ばれる弾圧事件があり、時代社会との緊張関係はなおも続きます。このように無差別平等を阿弥陀仏の本願において明らかにする浄土真宗、今の言葉で言えば人間の絶対的な基本的人権を語る浄土真宗は、いつの時代にあっても時代社会と批判的な緊張関係を自らの宗教的生命として持つところに独特の存在意義を持っていたのだと思います。
現代において親鸞聖人が教えを立て、開いてくださったことは、現代を生きる私たちにとって何を問いかけているのでしょうか。
現代を生きる私たちは、現代をどう捉えいるでしょうか。この百十数年の日本という国で言えば、明治以降、欧米の帝国主義国家に追いつけ、追い越せと発展を遂げてきました。しかし、その中心にある思想は殖産興業で国を挙げて経済活動を発展させ、富国強兵で軍備を増強し、国を守り、列強と互角に戦う国していくという考え方でした。数々の戦争でたくさんのいのちを犠牲にして今日の日本がある歴史を顧みることなく、まだ上を目指そうとする。経済優先で人間を大切にしない私たちの生き方が現代の日本を形成し、現代という時代をいびつに閉塞させています。そういう現代において、浄土真宗という仏法を明らかにされたことの意義は何かといえば、あらためて「願われたいのち」に立ち帰る生活を問いかけ、私たちに開いていることです。そこに立教開宗の意義がある思います。それでは具体的にどういう形で、私たちに浄土真宗が開かれているのでしょうか。それこそが阿弥陀仏の呼びかけとしての念仏です。念仏は私の欲望を満足させるための呪文ではありません。自己中心的にしか生きることのない「私と私の世界」をそれでいいのですかと呼びかけ問いかける仏の言葉です。南無阿弥陀仏と念仏申すとは、そういう仏の言葉に「私と私の世界」の矛盾・歪み不正、それが無明の闇、それを聞きとることです。それが念仏申すことです。つまり念仏は、そういう私からすると見たくもない、目を覆いたい私の闇をありのまま照らし出し、「願われたいのち」に目覚め、あらゆる人々と共に「仏の願い」に生きることを促しているのです。
世界の中の真宗
ー開教監督として赴任された南米において、浄土真宗はどのように伝わっているのでしょうか。
私は二〇一五年から三年半の間、真宗大谷派南米開教監督としてサンパウロにあるプラジル別院に赴任しました。ブラジルを起点にパラグアイ、アルゼンチン、さらにはコロンビアにおいて、親鸞聖人の教えを南米の皆さんと学びました。その中心は移民船「笠戸丸」が一九〇八年にブラジル・サントスに入港してから今日に至るまで、ブラジル、あるいは他の南米社会で生活をされてきた日系移民の方たちです。近年、世代交代が進み、ポルトガル語が必須の時代になり、法話もポルトガル語でなければ通じなくなってきています。私も同時通訳か、あらかじめ翻訳したものを配りながら法話をしていました。そういう状況にあって、最近では非日系のブラジル人の方々にも浄土真宗が受け入れられつつあります。ブラジル別院の日曜礼拝の参加者は地元の非日系プラジル人がほとんどです。ポルトガル語を母語とする人たちが「南無阿弥陀仏」とお念仏する声を聞き、非常に感動したことを今でもはっきりと覚えています。お念仏が伝わってきた歴史を目の当たりにし、普遍的原理としての浄土真宗の教えに触れた思いがしました。また、コロンビアの方々とも関わりを持たせてもらいましたコロンビアという国は五十年近く反政府ゲリラと政府との争いの中で内戦状態が続いており、ようやくゲリラとの話し合いによって内戦が終結した国です。コロンビアの方々はそういう中で心底に平和を求め、たどりついたのが仏教の平和思想でした。彼らはブラジル人のご門徒が開いている「浄土真宗ブラジル」というインターネットサイトを通じて、私たちと出会いました。コロンビア人のパブロさんはカトリックの修道士でしたが、私がコロンビアに行った時、真宗門徒になりたいという宣言書までいただきました。彼は「正信偈」も『阿弥陀経』もインターネットを通じて覚えたそうです。
彼らがたどりついた仏教の平和思想というのは、「こころの安らぎ」という意味が強いと思います。内戦が続き、危機感と不安感と恐れの中で日々を生きていたわけですから、その動揺するこころを安らげる教えとして、仏教を求めた。しかし、求めてみたら、仏教がいう平和というのは、単にこころの安らぎで完結するものではなかった。それは、私のこころの安らぎは、他の人のこころの安らぎと無関係ではないことを知り、私だけがこころ安らぐということはあり得ないことである。すべての人が救われなければ私は救われない。こういう問題意識を持つようになり、阿弥陀仏のこころにかなう平和ということから、阿弥陀仏の名をとなえる称名念仏を中心にする仏教である浄土真宗に深く関心を抱いたのです。
彼のような日系移民社会とは関わりがなかった人が、インターネットを通じて浄土真宗に出あい、手を合わせ「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」とお念仏を申す姿から、国籍・民族・人種・性差を超えて伝わっていく浄土真宗という仏法の普遍性を身をもって感じさせられました。だからこそ今、現代社会を根源的に批判できる原理を私たちは浄土真宗として学び、いただいているというところに立ち返って、謙虚に親鸞聖人の教えに学んでいくことの大切さを思います。
注1 承元の法難(一二〇七年)
後鳥羽上皇によって法然上人の門弟4人が死罪とされ、法然上人と親鸞聖人ら門弟7人が流罪にされた事件。法然上人は藤井元彦の名で土佐国へ、親鸞聖人は藤井善信の名で越後国・国府に流された。
注2 建長の法難(一二五五年頃) 関東の門弟たちに対する弾圧。
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