本日2021年9月6日午前5時頃、南米開教区開教使Ricardo Mario Gonçalves師がご逝去されました。師は1981年に得度され、1986年から現在に至るまで35年間、開教使として、また南米教学研究所の研究員として南米開教区における教化活動の中心となりご活躍いただきました。その活動は大谷派だけにとどまらず、今日ではブラジルにおける仏教研究においても多大な功績を残されております。
真摯に教えに向き合う師の姿勢、お念仏が中心の人生を歩まれたそのお姿は、私たちにとっても大切な道標でございます。
このたびの師のご逝去を悼み、ここに謹んでお悔やみ申し上げます。
上記のメールが監督部から昼に届く前から、各方面からリカルド先生がお亡くなりになったという情報が届いていました。以前から体調が悪く入院したが回復している、コロナの陽性だったが回復しているという話が届いていたので、非常にショックでした。そのままいつもの通りオンラインの朝のお勤めをしました。その朝の蓮如上人の御文は「疫癘(えきれい)」の御文でした。
ヒカルド先生との出会い
そういうことが確か二度、大谷大学時代にあったのです。きっと何か特別な研究の為に日本に滞在にされていたのでしょう。その時私はその20年後にはブラジルの地で先生に再会するとはこれっぽっちも思っていなかったのです。
ヒカルド先生の功績
先生はブラジルの国立大学の最高峰であるUSP大学の歴史学の教授でもおいででした。
しかし、それ以上に10代の頃より日本文化に傾倒し、日本仏教を学び、自らも僧侶となり、多くの経典や仏教書を翻訳して、ここ南米の地に仏教、特に浄土真宗の他力念仏の教えを広めた第一人者でした。日本語は日本人よりも難しい漢字を読むことができ、当然、英語も堪能でした。まさに南米に生きる三蔵法師そのものの偉業を成し遂げて、しかも現在まで現役で活躍なさった方なのです。
おそらく先生のポルトガル語の仏教書は今後日本語にも翻訳されるのではないかと思われます。またYouTubeに先生の法話がいくつも上がっているので見ることができます。それも今後翻訳されると思われます。
先生の偉業は日本仏教の翻訳にあります。日本仏教とはいえ、中国の漢文の経典を用いつつ熟成されたものですので、中国語と日本の文化のバックグランドを読み込んだ上で、サンスクリット文献、また諸外国で翻訳されている主に英語の情報も取り入れて、ポルトガル語に訳しておいででした。ポルトガル語はカトリックの宗教用語が詰まっているので、例えば信心とか信仰という言葉をそのまま翻訳するとカトリックの用語の信心、信仰と誤解されてしまうので、工夫を凝らして仏教の国を超えて伝わってきたそのエッセンスを如何に訳するか? という超人的な仕事をしてこられました。
リカルド先生を念じて
私は今だにポルトガル語もほぼできず、またそれでは日本語での仏教をマスターしているか? と問われたら困ってしまうような者ですが、それでも先生にお会いして、サンパウロでも先生の講義を(もちろん99%ポルトガル語ですが)聴聞する機会を頂けたのはありがたいことだと思います。
今日の午後3時にオンライン葬儀が行われ、130人余りの方々が参加されましたが、まさに法然上人を彷彿とさせるように宗派を超えて、職種を超えて沢山の人々が参加されました。最後に数人の人が謝辞(弔辞)を述べられました。各宗派の方、翻訳家の方、先生の生徒で日本で活躍するブラジル人などなどです。そして皆さんが最後に「南無阿弥陀仏」と念仏を称えたのは、本願他力の教えに生涯を捧げたリカルド先生の念仏の教えが宗派を職種を超えて広がっている証しだったと思います。
現開教監督・輪番である塚本智光輪番が葬儀でご法話でリカルド先生のエピソードお話をしてくださいました。リカルド先生が、Tres joiasというブラジル仏教のドキュメンタリー映画の対談の時どなたかが、「ブラジルで仏教を学ぶものは高学歴で金持ちが多いのですがどう思われますか?」と尋ねた所、リカルド先生は憤慨したような面持ちで「いえ、仏教の教えは貧しい人こそ救われていく教えなのです」と応えたという話がでとても印象に残りました。
仏教では貧しい人、金持ちを銀行口座の残高で決めるのではありません。また仏教の智恵とは色々な知識が頭に入っている人を指すのでもないのです。貧しい我々が共に救われていく道が本願他力の念仏の教えである事を即座に応えた先生の大切なエピソードです。
源空光明はなたしめ
門徒につねにみせしめき
賢哲愚夫もえらばれず
豪貴鄙賤もへだてなし
南無阿弥陀仏
大谷暢裕御門首のコメント
最後に
ー以下、疫癘(えきれい)」の御文の本文ー
当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生まれはじめしよりしてさだまれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。しかれども、いまの時分にあたりて死去するときは、さもありぬべきようにみなひとおもえり。これまことに道理ぞかし。このゆえに、阿弥陀如来のおおせられけるようは、「末代の凡夫、罪業のわれらたらんもの、つみはいかほどふかくとも、われを一心にたのまん衆生をば、かならずすくうべし」とおおせられたり。かかる時はいよいよ阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、極楽に往生すべしとおもいとりて、一向一心に弥陀をとうときことと、うたがうこころつゆちりほどももつまじきことなり。かくのごとくこころえのうえには、ねてもさめても、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ともうすは、かようにやすくたすけまします、御ありがたさ、御うれしさを、もうす御礼のこころなり。これをすなわち仏恩報謝の念仏とはもうすなり。あなかしこ、あなかしこ。
延徳四年六月 日
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