【蓮と鶏】
泥のなかから
蓮が咲く。
それをするのは
蓮じゃない。
卵のなかから
鶏が出る。
それをするのは
鶏じゃない。
それに私は
気がついた。
それも私の
せいじゃない。
この詩の第一印象
「せい」は「所為」その意味は?
- 所為(しょい・せい)⇒行い・しわざ
- 所為(せい)⇒その結果を生んだ原因・理由
①「しわざ・行い」という意味
この場合の「所為」は、 「しょい」とも 「せい」とも読む場合があります。
- 悪いことが起こったのは悪魔の所為(せい)である、と村人は口を揃えて言った。
- 自分の所為(しょい)に責任をもって行動しなければならない。
②「ある事が起こった原因・理由」という意味
この場合の「所為」は、多くの場合 「せい」と読みます。
- 帰りが遅くなったのは友達の所為(せい)だ。
- 君が試験に合格しなかったのはしっかり勉強をしなかった所為(せい)だ。
「所為」はネガティブな表現
「所為」は、「これ(悪い事・良くない事)が起こったのは○○が原因だ」と言うように、 悪いことが起きてしまった場合に使います。
意味だけ理解していると、「○○のおかげで(良いことが起こった)」というポジティブなニュアンスでも使えそうに感じますよね。
しかし、「所為」はネガティブな表現となるので注意しましょう。
との結論であった。金子みすゞがどう言う意味で使ったのか? その微妙な詩の表現なので決めることはできないでしょうが、この「せいじゃない」というおわり方にはやり味があると思います。
自己責任地獄からの解放
泥のなかから蓮が咲く。
「譬(たと)えば高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿(ひしつ)の淤泥(おでい)にすなわちこの華を生ずるがごとし」(『維摩経(ゆいまきょう)』)という言葉があります。高原の乾いた陸地はさわやかですが、蓮の華が生じることはありません。蓮華は泥に根を下(おろ)して美しく咲き、しかも泥水のなかにあってその汚れに染(そ)まることがないのです。この蓮華の譬喩(ひゆ)を金子みすゞはお寺で聴聞したのではないでしょうか。
そして、「他力のおかげさま」の念仏の功徳のお話を何度か僧侶から聞いていたのではないだろうか。蓮の華は仏教の悟りの象徴であり、泥は世間の苦しみや濁りを表している。煩悩の中にこそ悟りの花が咲くのであるという大乗仏教の教えの譬えとして有名である。
煩悩の所為なり
「せい」はそのままーおかげさま
清沢満之
行為の決着が次第にむつかしくなり、何をどうすべきであるやら、ほとんど困却の外はない様なことになる。言葉を慎まねばならぬ、行を正しくせねばならぬ、法律を犯してはならぬ、道徳を壊りてはならぬ、礼儀に違うてはならぬ、作法を乱してはならぬ、自己に対する義務、他人に対する義務、家庭における義務、社会における義務、親に対する義務、君に対する義務、夫に対する義務、妻に対する義務、兄弟に対する義務、朋友に対する義務、善人に対する義務、悪人に対する義務、長者に対する義務、幼者に対する義務等、いわゆる人倫道徳の教えより出づる所の義務のみにても、これを実行することは決して容易のことでない。もし真面目にこれを遂行せんとせば、終に「不可能」の嘆に帰するより外なきことである。私はこの「不可能」に衝きあたりて、非常なる苦しみを致しました。もしこの如き「不可能」のことのためにどこ迄も苦しまねばならぬならば、私はとっくに自殺を遂げたでありましょう。しかるに、私は宗教によりてこの苦しみを脱し、今に自殺の必要を感じませぬ。すなわち、私は無限大悲の如来を信ずることによりて、今日の安楽と平穏とを得て居ることであります。
無限大悲の如来は、如何にして私にこの平安を得しめたまうか。外ではない、一切の責任を引き受けて下さるることによりて、私を救済したまうことである。如何なる罪悪も、如来の前には毫も限りにはならぬことである。私は善悪邪正の何たるを弁ずるの必要はない。何事でも、私はただ自分の気の向う所、心の欲する所に順従(したが)うて、これを行うて差し支えはない。その行が過失であろうと、罪悪であろうと、少しも懸念することはいらない。如来は、私の一切の行為について、責任を負うて下さるることである。私は、ただこの如来を信ずるのみにて、常に平安に住することが出来る。如来の能力は無限である。如来の能力は無上である。如来の能力は一切の場合に偏満してある。如来の能力は十方にわたりて、自由自在、無障無碍に活動し給う。私は、この如来の威神力に寄托して、大安楽と大平穏とを得ることである。私は、私の死生の大事をこの如来に寄托して、少しも不安や不平を感ずることがない。「死生命あり。富貴天にあり」と云うことがある。私の信ずる如来は、この天と命との根本本体である。
(明治三十六年夏、先生三河国大浜町西方寺にあり、自ら筆を執りて、この一篇を草し、後数日を出でずして、病俄に革まり、六月六日午前一時、溘然として寂せらる。然れば此一篇は正に先生の絶筆なり。同年六月十日発行『精神界』所載)
金子みすゞと他力
親鸞聖人
金子みすゞ
金子 みすゞ(かねこ みすず、1903年(明治36年)4月11日 - 1930年(昭和5年)3月10日)は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人。本名、金子 テル(かねこ テル)。
享年28〈数え年〉、26年の短い生涯を閉じた。法名は釈妙春信尼[2]。
清沢満之
清沢 満之(きよざわ まんし、1863年8月10日(文久3年6月26日) - 1903年(明治36年)6月6日)は、日本の明治期に活躍した真宗大谷派(本山・東本願寺)の僧侶、哲学者・宗教家。旧姓は「徳永」。幼名は「満之助」。院号法名は、「信力院釋現誠」。真宗大学(現・大谷大学)の初代学監(学長)。
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蓮と鶏 と 精神主義
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